JINKEN BOOK's Special
「ハート」で挑戦、自己解放への道

「歩く水平社宣言」を自称する部落出身者・川口泰司さんが自らを熱く語ります。

(2004/03/22up)


★ 第15話 ★


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第15話 「最高の授業=最低の授業」

(2004/03/22up)



 
 ボクはどうしたらいいの?

 高校生活最後の「同和」教育の授業。またまた、テーマは結婚差別。一番盛り上がるテーマである。授業も残り10分になろうとした頃、話の流れから、ボクは自分の立場を明らかにして、みんなに今までの思いを伝えたくなった。
なぜなら、みんなは「もし私が好きになった人が部落の人だったら・・・・」と発言している。じゃあ、部落出身のボクの場合はどう答えたらいいの?「もし私が好きになった人が部落の人だったら・・・」と発言しながら、心の中では「おいおい、部落同士で別に問題ないじゃん!」と突っ込んでいる自分がいる(笑)。でも、みんなにカミングアウトしていないから、部落出身者として「もし私が好きになった人が・・・」と言っている自分になんか「やましさ」を感じてしまうからだ。カミングアウトしてないボクにとっては、この「やましさ」は同和教育の授業ではつねにつきまとっていた。しかも、授業を受けている生徒は「まさかこのクラスに部落の子がいるなんて想像もしてない」。部落問題はプリントの中のどこか遠くの話、何十年前の話として聞いている。「地区の子がいるのに、いないことになって授業が進んでいく」空気。つまり、部落出身者として生きている自分が「いるのにいないことに」なって授業がすすんでいく辛さ。自分のあるがままの存在を否定されているということ。こりゃ〜たまんない。



 「部落民宣言」≠「立場宣言」


 体育祭や文化祭も終え、クラスの仲間ともすごくいい雰囲気になっていた。みんなとのつながりも深くなり、みんなのことを大切なクラスメートだと思えるようになってきたからなおさら、ありのままの自分を伝えたくなっていた。これで高校生活最後の同和教育の時間だと思うと、もう、こらえきれなくなり、気がついたら自分の立場を語っていた。授業が終わる5分前だった。「みんなに言いたいことがあるんや・・・。もう知っているやつもおるとは思うけど、オレ、部落出身なんよ。やたら同和教育の授業の時に、熱心やったりバリバリ発言してたりしてたんは・・・。」とボクはこの3年間の思いを語っていた。一通り自分のこれまでの思いを語り終わった。みんなは今の話を聞いて、どう思ってるんだろうか、それが気になってしょうがなかった。しかし、そこでチャイムがなり授業は終わってしまった。キャッチボールでなくドッチボールで終わってしまった。クラスメートのそれぞれが「反差別の立場宣言」をしたのではなく、ボクだけの「部落民宣言」「マイノリティ宣言」で終わってしまった。「立場宣言」と「部落民宣言」これは同じように聞こえるが大きく違う。「部落民宣言」は字のごとく、部落出身者が自分が部落出身であるということをカミングアウトすることである。
でも、これで終わってしまったら意味がない。大切なのは、そのカミングアウトをされた人が、それぞれ、「じゃ、自分は非部落出身者としてこの部落問題をどう考えるのか」「障がい者問題を健常者として自分はどう考えるのか」「女性差別を男性として自分はどう考えるのか」「異性愛者として同性愛者の問題を自分はどう考えるのか」「日本人として在日韓国・朝鮮人問題を自分はどう考えるのか」も問われている。マイノリティのカミングアウトはマジョリティとしての自分自身の生き方をも同時に問われているからだ。だから、「部落民宣言」で終わらせるのでなく、みんながそれぞれの立場で、反差別の立場宣言をしなきゃとボクは思っている。



このズレはどこから?


 次の授業の時も、「みんなは、僕のことをどう思っているのだろう?」とそのことが気になって気になって授業どころではなかった。なんか、僕の席だけが孤島のように、ポッカンとみんなから浮いているように感じていた。昼休みになり、ダッシュで職員室に向かった。
「先生、みんなの感想読ませてください!」
「川口くん、もう、すごくよかったよ!」
「えっ、あの授業のどこが良かったんですか?」
「わたしね、金八先生とか、ああいう青春もんみたいな教育って、絶対ないと思っていたの。でも、今日はみんなも本音で語り、ちょっと涙もあって…。すごく感動した」
その言葉を聞いて、ボクはなおさら期待をして、感想を読みはじめた・・・。
「川口くんは、被害者意識が強すぎると思います。もっと私たちを信用してほしい」「そんなに、深刻に思いつめんでも、別にもう差別なんかないやん」「ボクらはもう部落とか気にしないよ」など、確かにみんなはホンネでびっしり自分の思いを書いていた。

が、感想を読みながらすごく「へこん」でいくボクがいた。やっぱりボクの伝え方がまずかったのかな・・・。今までやってきた「立場宣言」の中で、一番最悪の「立場宣言」だった。そんな僕の気持ちなど少しも分からないのか、先生はうれしそうに、みんなが本音で感想を書いてくれて、「最高の授業」だったという。いったいこのズレはどこからきたの!



 「市同教」大会乱入!?


 卒業間近の2月頃である。宇和島市の同和教育の研究大会で、先生が報告すると聞きつけたボクは、その大会にもぐりこんだ。どんな報告をするのか気になっていたからだ。教職員の集まりに高校生が参加することは出来ないはずなんだけど、受付の人はよく知ってる中学校の先生だったから、ニヤリとして会場にいれてくれた。一番後ろの席に座り、こっそりと教師になりすましていた(笑)。そして先生の実践報告がはじまった。先生はあの授業を「最高の授業」だったというようなを報告している。報告を聞きながらどんどん腹がたってきた。「おいおい、先生、そんな最高の授業やないで!ボクの感じ方と全然違うよー!」と、思わず叫んでしまいそうになった。が、そんな思いをグッとこらえ、黙って最後まで聞いた。だってモグリで参加してるから(笑)。そして、質疑・応答の時間になった。僕は、こらえきれず気がづいたら、挙手して、発言していた(笑)。
「さっきから、Y・K君、Y・K君って、言ってたけど、それ僕のことです!」、会場にいたみんなが一斉に僕を見た。一番驚いていたのが先生だ。「えっ、川口くん来てたの!」って感じで。「先生、全然違うやん、なんでそんな受け止め方なん」「あの授業、先生にとっては最高の授業やったかもしれんけど、僕にはとっては最低の授業やったんやで!」「このズレはなんやったん!」と半分涙ながらに、語っていた。



 ボクにとっての部落問題は「いま、ここ」!


 毎月、「高友」があるたびに、僕は先生を誘った。一番理解してもらいたかったからだ。「同和」教育の授業するとき、ムラの子がいるのに、このクラスにはいないような空気で授業をするからである。いろんな思いを抱えて、「同和」教育を受けているのに、その思いを考えることなく、聞いてくれることなく授業がすすむ。それが一番つらかった。だから、毎回毎回「高友」があるたびに先生を誘った。2年間。でも、1回も顔を出してくれることはなかった。いつも「子どもが小さいから」「忙しいから」と言っていた先生。その言葉を聞くたび、「先生の家庭を犠牲にしてまで、高友に顔を出してもらうのはツライ」。
しかし、そんな思いを受け止めながら、何度も少しの可能性にかけ、先生を誘った。ボクのクラスでは「地区の子がいるのに、いないことになっている」。これが僕を一番苦しめていたからだ。先生、一回、ボクらのムラに足を運んでよ。高校生が部落差別で、学校の「同和」教育でどんな思いをしてるかその思いを聞いて!それがボクにとっての部落問題なんよ!そんなどこか遠くの、何十年前の話、プリントの話じゃなくて、「いま、ここ」「いま、このこと」がボクにとっての部落問題なんよ!

「年に一回の『アリバイ的家庭訪問』で地区の高校生や保護者が、そんなホンネを語ってくれるわけないやん!」「先生にとっては「最高の授業」やったって言うけど、ボクにとっては「最低の授業」やったんよ!」「先生、このズレはなんなん・・・」この言葉を、多くの人の前がいる前で、自分の担任に語るのは辛かった。必死になって先生に分かってもらおうと発している言葉だが、それまでの自分の辛さがこみあげてきた。その厳しい突きつけは先生に言いながらも、僕自身にも突き刺さっていた。それでもこの気持ちを分かって欲しかった。もう二度とこんな思いを後輩たちにさせたくなかったからだ。気がついたら涙ながらに語っていた。「先生、先生が「同和」教育で楽した分だけ、ボクがその分、しんどさ背負ってたんよ・・・!」



 大阪への旅立ちの日・・・


 大学受験前で高校は自由登校だったこともあり、その後ゆっくりと担任と話す時間もないまま卒業式を迎えた・・・。このようなやりきれない複雑な思いをしたまま高校を卒業し、故郷を旅立とうしていた。大阪の大学で、解放運動を勉強して愛媛に帰って運動するんだ!と意気込んでいた。旅立ちの日、朝一の電車で大阪へ向かう予定だった。  
駅で友だちなどと別れを惜しみ、改札を通り抜けようとした。と、その時!な、なんと向こうから担任の先生が走ってきた!先生は息をきらしながら、ボクをジッと見つめて、「大学に行っても、元気でね」と言い残し、そっと、ボクに一通の手紙をわたした。
朝焼けが列車の窓から差し込んでいる。18年間生きてきた宇和島。たくさんの人の顔、思い出がボクの脳裏を駆け巡る。そして、これから大阪という大都会で生きていく。めいっぱいの大きな夢と希望を胸にひめたボクの乗った列車はゆっくりと動きだす。まるでドラマのシーンのようだった。座席に着き、みんなの影がなくなるまでボクは手を振っていた。そして、さっきから手の中にある先生からの手紙をそっと開けた。

「・・・正直、あの『市同教』大会で川口くんが泣きながら私にいままでの思いを語ってくれて、はじめて気がついた・・・。それは「忙しから」とか「子どもが小さいから」とかいろんなことを言って、「同和」教育から逃げていた自分がいた。本当にゴメンなさい。…これからは、本気で「同和」教育に取り組んでいきたい。川口君に見られてもはずかしくないような授業をしていきたい…。これから、いろいろな困難などに出会うかもしれないけど、くじけないで!君の後ろには、私を含め、大勢の仲間がいることを忘れないで!」。
故郷を離れる寂しさと、先生の思い。ボクの顔は涙でクシャクシャだった。つらかった高校生活だったが、本気で先生と向かい合うことで、最後の最後に分かりあえたような気がした。ようやく、ドッチボールからキャッチボールになれたような気がした・・・。



P.S 数年後、地元の高校の先生と話す機会があった。あの時のボクの担任は今は、バリバリ同和教育をやっているんだろうな〜と思って聞いてみた。「やすし。あれがきっかけで、高校生友の会にも来てくれるようになって、いまはすごく同和教育を願生って(がんばって)いるぞ!」という返事が返ってくるはずだった・・・。
が、しかし。「やすし、それがな、その後、結局一回も高友にも顔を出さなかったよ・・・。今は異動で他の高校に・・・」と。ガクッ。人生そんにうまくいかないってか(笑)。
 今から思えば、高校の同和教育ではムチャクチャ苦しめられた。でも今から思うと、あれだけひどかった高校だからこそ、ボクは燃えることができて大きく成長できたと思う(笑)



〜「人の世の冷たさがどんなに冷たいか、人間を勦る事が何であるかをよく知ってゐる吾々は、心から人生の熱と光りを願求禮讃するものである。」(水平社宣言より)〜


 


【川口泰司さん自己紹介 】

1978年生まれ。愛媛県宇和島市の被差別部落に生まれる。
小学6年生の時、「ブラック差別」と勘違いして立場を知る。中学時代、同和教育に本気で取り組む教師、同和教育との出会いから、解放運動に取り組むようになる。

趣味:サーフィン(海に行く途中、車でおもろい講師のテープを聞き感動している)、読書、メール
特技:部落問題を熱く語ること(放っておくと一日中語っています)
好きな言葉:「解放運動はフットワーク→ネットワーク→ライフワーク」「願生る(がんばる)」
 



 

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