JINKEN BOOK's Special
「ハート」で挑戦、自己解放への道

「歩く水平社宣言」を自称する部落出身者・川口泰司さんが自らを熱く語ります。

(2001/07/27up)

 

【はじめに】
 高校時代までは「歩く水平社宣言」と呼ばれ、行く先々で「はじめまして、ボク、部落出身です」(笑)と自己紹介をしていた。そんな自分が、ムラ(被差別部落)を離れ、大阪の大学で一人暮らしをするようになり、アルバイト先や趣味のサーフィンの仲間など、「世間」の価値観の中で生きる機会が多くなるにつれて自分の立場を言えなくなっていった。
 このままではイヤだ! もう一度、自分自身にとって解放運動とは、「同和」教育とは、部落差別とはなんだったのかを見つめていきたいと思い、自分史を綴りはじめた……。






★ 第1話〜第4話 ★

第1話 「ブラック差別」(2001/06/11up)

第2話 「ボクも輝きたい!」(2001/06/15up)

第3話 「初めての立場宣言」(2001/06/25up)

第4話 「ばあちゃん、オレが読んだろうか?」(2001/07/27up)




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第1話 「ブラック差別」

(2001/06/11up)

 ボク、川口泰司は愛媛の宇和島の被差別部落に生まれ、大学に入るまでの18年間そこで生きてきた。ボクが自分が部落出身だということを知ったのは小学校6年生の頃だった。きっかけは、姉への差別事件だった。

 姉の友人の母親が高校受験を前にして、自分の子どもに姉と遊ぶのを控えなさいと「助言」した。ここまでは子を思う母親の気持ちとしては良くわかる。ボクの姉は学校でもやんちゃで、良くも悪くも学校で目立った存在だったからだ。

 しかし、ここまで聞くとごく一般的な話だが、一言「Mちゃんは、部落の子だから…」という付録がついてくる。いったい、どういうことを意味しているのだろうか。姉の友人が受験勉強に身を入れるために、遊びも控えなさいというのであれば話はわかる。でも、その後に「部落の子だから」というのは問題があるのではないだろうか。それに、その母親はPTAの活動をしていた。PTAでは毎月、「同和」教育の新聞を発行している。彼女も部落問題に熱心に取り組んでいたから、なおさら許せない。結局、彼女にとっては部落問題は「タテマエ」「タニンゴト」であった。

 このような事件があって、ボクの家に学校の先生が家庭訪問にくる機会が多くなった。当時、小学生だったボクは学校の先生が家に来るなんて、また姉が悪いことをしたんだなと思っていた。そのうち、こっそりと先生たちの話を聞くことに成功した。なにやら、そこでは「ブラック」(black)という単語が頻繁に聞こえた。どうやら姉は「黒人差別」でもしたのかなあと思っていた。

 このことを次の日の昼休み、学校で担任の先生に聞いてみた。 「先生、ブラック差別ってなに?」(今から思い返せば、おかしな話ではあるが、当時のボクは本気だった)。その途端、先生の目つきがギラリと変化した。やばい! また何かまずいことでも言ってしまった?

 当時のボクは「やんちゃ」少年だった。いわゆる「悪ガキ」だ。ボクの専用の説教部屋まで用意されていた。 「川口君。ちょっときなさい!」。そして、ボクはいつもの部屋に呼び出された。いつものように先生の前に正座して、先生を睨みつけていた。しかし今日は何かいつもと空気が違う!

 ボクは「ブラック差別」という言葉をどのように知ったかを一通り話した。その後、先生が被差別部落の歴史を話しはじめる。江戸時代の身分制から、「解放令」などなど。そして、最後に「川口くんは、そういう地域に生まれたの。これから結婚や就職などのとき差別されるかもしれないから……」そういった内容だった。

 話が終わり、ボクは最悪な気分だった。教室に戻ると、いつもの仲間から「今度は、何しでかしたんど(方言、「何をしでかしたのか」の意)」とボクをからかう。いつもなら、自慢げに自分の悪さをみんなに自慢するのだが、その時は何もいえなかった。何かとんでもないことを知ってしまったような気がして、適当に仲間をはぐらかした。

 先生はボクに部落は差別されるところ、かわいそうなところといったマイナスイメージばかりを伝えた。 その差別の中でも、たくましく生きてた「生き様」や、差別に屈せず闘ってきたことなどは何も伝えてはくれなかった。

 立場の自覚とはこういうことだろうか? そんなつまらない差別は必ずなくすことが出来るという確信をボクにセットで教えてくれなかったのは何故か。当時の宇和島の状況を考えれば仕方なかったといえるのだろうか? ほんの10年前なのに・・・。 (以下、第2話に続く)




第2話 「ボクも輝きたい!」

(2001/06/15up)

 自分が部落出身であるということを自覚して3年が過ぎた。ボクも中学生になっていた。部落出身であることを友達に告げたことは一度もなかった。なぜなら、自分のなかで「部落民」であることをマイナスにとらえていたからだ。こんなボクを180度変える出来事が起こった。

 中学生活もあと1年という時期になっていたそんなある日、「同和」教育主事の先生から福岡へ行かないかという誘いがあった。「部落解放福岡県中学生集会」に参加するためだ。はじめからそんなこと言ってもボクたちが行くわけがない。部落問題はシンドイ問題、避けて通りたい問題だったからだ。しかし、さすが先生。

「おい、スペースワールドって知ってるか」 。 ボクたちはその言葉を聞くや、すぐに話に飛びついた。 「先生、スペースワールドいけるん?」
「わー、いいな、福岡行きたい!」 みんなは一瞬にして福岡へ行く気満々になっていた。当初の目的を忘れて…。(笑)

 学校が週5日制(月に2回)になったばかりだった。その土日を使ってボクたちは福岡へ出かけた。

 福岡へはヨコシマな動機で出かけたボクたちはさっそく、スペースワールドで遊びたおした。初めてきく博多弁にドキドキしながら、おもいっきり楽しんだ。夕方になり、その日宿泊する解放会館(隣保館)へ向かった。隣保館に到着して驚いた。たくさんの人がボクたちを迎えに来てくれていた。

 隣保館へ一歩足を踏み入れて、長いヒゲをはやしたおっちゃんの写真が飾ってあるのが目に入った。ボクは一瞬そのおっちゃんの強烈なインパクトに、体がかたまった。(そうだ! 松本治一郎である。ボクはそのおっちゃんのことなどまったくしらなかった。)ただ、そのおっちゃんの熱い眼差しを受けながら、玄関から奥の部屋へと足を進めた。 その後、隣保館で識字学級のおばあちゃんたちと交流をした。

 ここでボクはまず、ハンマーで頭をガツーンと殴られるような出来事にであう。自己紹介をしていろんな話をした。ボクの話を聞いていたおばあちゃんは、ボクが部落に生まれたことをマイナスに思っていることに気がつき、 「川口くん、あんた部落出身やいうこと恥じとるやろ」 「部落やからって恥じたらあかん、胸張って生きんしゃい!」と一言、力強く言った。 それから、おばあちゃんたちがボクたちにいろんな話を語ってくれた。そんな話を聞いていくうちに、ボクの中で、部落に対するイメージがガラガラと変わっていく。

 差別によって奪われた文字を取り戻す。そのなかで、おばあちゃん自身が自己変革していく。文字を覚えて、自分たちで解放劇(人権劇)の台本を書き、劇に取り組む。そんなばあちゃんたちの生き様を見て、ボクは胸が熱くなった。

 ボク自身、部落の人でこんなに差別をなくすために頑張っている人を見たのは初めてだったし、昔から差別と闘ってきた人がいたなんて知らなかったからだ。特に福岡といえば、「解放の父」といわれた松本治一郎さんの故郷である。

 そんな話は今まで一度も聞いたことがなかった。小学生の時に担任から聞いた話と全然ちがう! 交流会が終わって、ボクたちは興奮したまま、今では珍しく、ばあちゃんたちの家にもらい湯(風呂)に行った。ばあちゃんたちは、みんなが自分の家に来い、来い、と誘ってくれる。風呂からあがったら、もう食べれんというくらい、果物を用意してくれた。ボクはお腹がいっぱいだったけど、そのあったかさを体で感じながら、いつまでも食べ続けた(笑)。

 朝になったら、「もらいメシ」に行く。やっぱり福岡だね。愛媛だったらミカンだけど、明太子が机の上にあった。その明太子がまたウマイ! そうして、朝食を一緒に食べる。なんかムラのあったかさをつくづく感じた。(誰が「部落は恐い」というんだろう、一度一緒にこの明太子ごはんを食べたらわかるのにー!)

 2日目、いよいよ今回のメインである「中学生集会」に参加した。会場に行ってビックリした。軽く300人はいた。愛媛ではこんなに部落の子が集まったことなかったので、さすがのボクも少し緊張した。その日のボクたちは集会にコッソリ、モグリで参加していたので、後ろの方に座って、肩身を狭くしていた。

 集会が始まり、いろんな部落の子どもたちが日頃、子ども会で取り組んでいる活動報告を行いはじめた。報告の中で、部落の子たちが思い思いに自分の気持ちを語っていた。自分のシンドイ話、学校での差別事件のことなどなど。その中で、1人の子の発言に体が熱くなった。彼は部落出身ということと、言語障害を持っているということで、二重の差別を受けているという。学校で石を投げられたり、いじめられたりしている。でも「そんな差別に負けずに頑張っていく!」と発言していた。

 彼の話はとても聞き取りにくかった。途中何度も、言葉につまり、その度に隣にいる仲間たちが励ます。一言、一言、反差別の立場宣言を自分自身にしていた。涙とハナミズで顔はグチャグチャになっていた。でも、彼は輝いていた! 何か内側からあふれんばかりの輝きがあった! 昨日の、識字のばあちゃんもそうだったように、解放運動を本気で頑張っている人はすごく輝いていた!ボクには想像がつかないくらいの差別への怒り、くやしさ、葛藤をしてきたのかもしれない。でも、それを乗り越えて頑張ってきた。だから、あんなに輝けるんだと思った。部落解放運動とはそんな運動なんだと実感した。ボクも輝きたい! そう思った…。(以下、第3話につづく)
 

 



第3話 「初めての立場宣言」

(2001/06/25up)

 福岡から帰ってきたボクは、かなり元気になっていた。「部落であることは隠すことでも、恥じることでもない」。識字のおばあちゃんの言葉が心に響いていた。

 そんなある日、「同和」教育の授業があった。テーマは結婚差別。中学生のボクらにとって「結婚」という言葉はピンとこなかった。「2組の○○ちゃんが好き」とか「告白してふられたらどうしよう」とかまだ初恋というものを知ったばかりの年頃であった。

  何度か教材などを使って「結婚差別」問題を学習したあと、みんなで討論する時間になった。はじめはほとんどの子が結婚差別に対する怒りや思いなどを語っていた。ボクにとっては嬉しい発言ばかりだった。そんな時、ボクと仲のよかった真希(仮名)ちゃんが「私は部落の人とは結婚できない!」と語りはじめた。

  ボクはビックリした。真希ちゃんの祖父や親は部落のことをあまり良く思っていない、というより、絶対に部落の人と結婚するのは反対だそうだ。

 「部落の人と結婚して幸せになるのは自分…でも自分だけが幸せになって兄弟や親までを不幸にしてまで結婚できない」と真希ちゃんは言う。(「おいおい、部落の人と結婚したら不幸だとでも言いたいのかい?」と、今なら突っ込みたくなる。ボクも不幸なのか? 失礼なこと言う人だなぁ。ボクは今はとても幸せだよ)

  そのような発言にみんなも一瞬シーンとした。ボクは知らない間に手をあげて、発言していた。「真希ちゃん、真希ちゃんは今まで、部落のことをおじいちゃんとか、親にどういうふうに教わったの?」

 彼女は部落の人は「怖い」とか、何かあるとすぐ「集団で押し掛けてくる」とか、そんなことばかり聞いてきたという。

 ボクはその話を聞いていて、プッチンとキレタ。 「そんなこと言う真希ちゃんは、部落の人とつきあったことあるの?」 彼女の答えはNOだった。ボクはこらえきれなくなり 「真希ちゃん、ボクが真希ちゃんの言っている、部落の子や!」 真希ちゃんをはじめ全員がボクを見た。その「まなざし」が痛いほどボクの身体に突き刺さる。

  ボクは心臓がバクバクして何を言っているのかよくわからなくなりそうだった。 「ボクが真希ちゃんのいう部落の子や!ボクは怖いか? なにか真希ちゃんと違うか? 同じ人間の赤い血が流れていて、真希ちゃんと同じようにお母さんから生まれてきたんや! たまたま生まれたところが部落やっただけや、なのに何でオレは好きな人と結婚でんの!」 当時のボクには精一杯の反論だった。

 そして最後に 「オレという個人を見てくれ! ボクが真希ちゃんのいう部落民や! 部落に対する偏見はすぐにはとれるとは思わん。でも、これからはオレという人間をみて、自分の心の中にある部落を見つめ直してくれ!」 心臓の鼓動はピークに達し、頭は真っ白。ボクの顔は涙でくしゃくしゃだった。

  …一瞬、教室がシーンとなった。

 武ちゃん(仮名)がその沈黙を破るように語りはじめた。 「オレ、やっちゃんが部落の人だということは知っていた。やっちゃんの家に遊びに行くときに、いつも反対されてた。でも、やっちゃんは、オレの友達やし、そんなん関係ないと強く反発した」というのである。

 武ちゃんとは小学生の時からの友達である。彼の発言を後にして、みんながどんどん本音で語りはじめた。今まで、心の奥にあったマグマが爆発したかのように…。

 「私は、デブといわれるのがすごく辛い…」 「ボクは、小学生の時にいじめられていて…」 「両親が離婚してから…」 などなど、みんなが、今まで生きてきたなかで、しんどかったこと、今のつらさなどを本音で語りはじめたのだ! みんなの発言の最後には「だから、差別は許さない! 差別するような人間になりたくない!」と、一人ひとりが反差別の立場宣言をする。部落民宣言から反差別の立場宣言に変わっていった。

  そんなみんなの発言を聞きながら真希ちゃんは、さっきまでの自分としっかり向き合っていた。差別の現実が目の前にある。自分はそこでどう生きていくのか、生き方を問われていた。

 先生が最後に言ってくれた言葉が今でもボクの心に残っている。

 「たとえ、このクラスのみんながやすしを差別するようなことがあっても、オレは絶対にその差別と闘う。…このクラスからあらゆる差別をなくしていこう! しんどい思いをしている子と、みんながしっかり向きあっていこう!」

 その後、卒業するまで、僕たちは何かしんどい課題をもった子がいると必ず、みんなで話し合い、問題解決に向けて一生懸命取り組むようようになった。「同和」教育に本気で取り組むようになって、学校が本当に楽しく、居心地のいい場所になった。

  中学3年のころ、今から7年前ことだから、どこまで記憶が正しいから分からないが、ボクにとって生まれて初めての「立場宣言」だったことは確かである。 (以下、第4話につづく)



 

第4話 「ばあちゃん、オレが読んだろうか?」

(2001/07/27up)

 高校生になって数ヶ月たったある日のこと、ボクの姉が人権作文のコンテストに入選し、表彰状をもらった。これは「川口家」にしては大変な出来事であった。姉が表彰状をもらうのは入学式、卒業式を除けばこれが最初で最後だったからだ(笑)。

 そんなある日、家に帰り、お風呂に入るついでに「ただいま、ばあちゃん!」と部屋をのぞいた(ボクの家は祖父母と同居していた)。ばあちゃんはコタツの上に姉の作文を広げていた。そんな姿を見て、ボクは「ばあちゃん、姉の作文を読んでいるんやなあー、そっとしておこう」と思い、声をかけずお風呂にはいった。お風呂からあがってばあちゃんの部屋をのぞいてみると、ばあちゃんはまだ姉の作文を「読んで」いた。

 ばあちゃんに近づきハッとした。ばあちゃんは、姉の作文を「読んで」いないのである。ただ一点だけをジーと「見て」いるのである。作文の冒頭にある孫の名前だけを「見て」いるのである!

 さっきから1ページも先に読み進んでいない。ひょっとして、ばあちゃんは文字が読めないのかもしれない! 識字問題について学習したばかりだったために、そのことが脳裏に浮かんだ。そういえば今までに、ばあちゃんが新聞や本を読んでいる姿を一度も見たことがない! ボクの持ち物に名前を書いてくれたことはあったが、それはすべてカタカナだった。姉が表彰された初めての作文、その内容をどんなにしりたかったであろうか。そんなばあちゃんの後ろ姿をみて、ボクは純粋に「ばあちゃん、オレが読んだろか?」と声をかけようと思った。でも、その一言がでない! 喉まできているその一言がでない!

 その一瞬、ボクの脳裏に様々なことが浮かんできた。ボクの家で祖父母と部落問題を語ることはタブーだったからだ! 解放子ども会や学校で「同和」教育の授業があった日の夕食の時には、ボクは興奮気味で授業のことを語る。しかし、そういう話をすると、ばあちゃんは目の前にトンカツがあろうとステーキがあろうと、ご飯にお茶をかけてすぐに食事をすませ、その場からいなくなる。じいちゃんも、タバコをふかしながら、聞いてないフリをする。そのような場面を何度も目の当たりにしたことで、ボクはばあちゃんたちと部落問題を語るのはタブーなことだと肌で感じとっていた。

 ばあちゃんにとって、部落差別を孫と語ることがどういうことなのか。自分が受けてきた部落差別はもう忘れたい、もうなくなっていて欲しいという思いがあるのだろうか。自分の孫までが部落差別を受けるのは耐えられない。ばあちゃんの行動からボクはそんなことを感じとっていた。だから、「ばあちゃん、オレが読んだろか?」という一言が喉まできているのに出なかった……。

 何も言えず部屋に戻った。ばあちゃんが文字を読めなかったという事実を目の当たりにしたこと。差別とは直接的に受ける言動だと思っていた自分、でも、部落差別によって教育を奪われ、文字を奪われ、そのことの影響を受けたまま、70歳まで生きてきたばあちゃんの姿。目に見えなかった部落差別、あまりにも近くにありすぎた差別。そのことに気づいた時の動揺……。

 複雑な心境のまま、2〜3日悩んだ。そして家に帰りばあちゃんの部屋をのぞいた。するとまだ、ばあちゃんはコタツの上に作文を広げてジーっと姉の名前だけを「見つめて」いた。ボクは高く感じる敷居を何とかまたぎ、ばあちゃんの横にドシンと腰をおろした。そして、「ばあちゃん、オレが読んでやる!」と、強引に作文を手にとった。

 一文字ひともじを読むボクの声は震え、棒読みである。普通の作文ならまだよかったものの、姉の受けた差別の話(第2話参照)だから、読むボクもなおさら、様々な思いが込み上げてきた。ばあちゃんはこれを聞いてどう思うのだろうか、わが子の時には部落差別がなくなって欲しいという思いのなか、オヤジが「結婚後差別」を受ける。さらに孫にはこんな差別を受けさせたくない!というばあちゃんの思い。その思いをブチ壊す内容だったから、なおさら読んでいるボクも辛かった。

 ボクの肩は震え、目からは涙が溢れ出ていた。ばあちゃんも動揺して、目をキョロキョロさせ話を「聞いてないふり」をする。ばあちゃんの目からも大粒の涙がこぼれていた……。そんなばあちゃんの背負っている何かに向かって、ぶつけるように一字一字を読み続けた。  たった2〜3分の出来事だったが、ばあちゃんのかたくなに聞こうとしない姿から、その姿の後ろにあったものが何であったかが少し分かったような気がした……。

  そしてボクはばあちゃんにストレートに聞いた。オヤジすら、ばあちゃんといまだに話したことのないタブーを! 「ばあちゃん……、ばあちゃんは部落差別を……」   (いよいよ佳境へ! 以下、第5話につづく。)


 

【川口泰司さん自己紹介 】

1978年生まれ。愛媛県宇和島市の被差別部落に生まれる。
小学6年生の時、「ブラック差別」と勘違いして立場を知る。中学時代、同和教育に本気で取り組む教師、同和教育との出会いから、解放運動に取り組むようになる。

趣味:サーフィン(海に行く途中、車でおもろい講師のテープを聞き感動している)、読書、メール
特技:部落問題を熱く語ること(放っておくと一日中語っています)
好きな言葉:「解放運動はフットワーク→ネットワーク→ライフワーク」「願生る(がんばる)」
 



 

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