JINKEN BOOK's Special
「ハート」で挑戦、自己解放への道

「歩く水平社宣言」を自称する部落出身者・川口泰司さんが自らを熱く語ります。

(2002/06/05up)

★ 第9話〜第12話 ★

第12話 「敵を探すより、まず味方を探せ!」(2002/06/05up)

第11話 「初めての水平社宣言」(2002/04/30up)

第10話 「ソトに向けている指を、まず、自分に!」(2002/03/29up)

第9話 「初めての『全奨』Part2〜闘う武器は豊かな言葉〜(2002/02/02up)



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第12話 「敵を探すより、まず味方を探せ!」

(2002/06/05up)



  いつものように、月一回の高友に集っていたある日のこと。
 「ねえ、おっちゃん。この前の全奨で『第3期の解放運動〜』って言ってたけど、第3期の運動ってなんやの?」という質問がでた。
  「第3期っていったら……」
  同和教育課のおっちゃんは、必死でボクたちに説明する。やんちゃな高校生ばかりが集まったボクたちの「高友」。部落問題学習もしっかりできていないボクたちに、第3期論を説明することはそう簡単ではない。おっちゃんは四苦八苦しながら説明した。
  「第3期っていうたら、反差別共同闘争の時代やということや……。」
  一通り説明を終え、満足そうにおっちゃんはボクたちをみた。が、一方のボクたちというと。
  「ハンサベツ・キョウドウトウソウ?」
  ポカーンとして何のことだかサッパリわからなかった。
 「おっちゃん、全然〜意味わから〜ん!」。
  困ったおっちゃん……。

  次の高友の時である。同和教育課のおっちゃんは、こいつらには「頭でわからすより、まず、体で感じさすほうが先や」とでも思ったのだろうか。
 「愛媛のN放送局って知ってるやろ?」
 「うん、N放送やろ。いつもテレビ見てるよ」
  ボクたちは、おっちゃんの発問に、くいついていく。
  「あそこで今、女性差別をなくそうと熱心に取り組んでいる人がいるから、こんど取材に行こうか?」
  といきなり言ってきた。第3期論について納得いかないまま、おっちゃんは違うネタにすり替えたなと、「カシコイ」ボクたちは内心そう思ってニヤリとした。いつものように、「松山に遊びに行こうぜ」(笑)という誘いのもと、さっそく休日を使ってみんなと取材に行った。

  その内容を簡単に説明すると、当時、N放送局ではアナウンサー以外の女性はすべて、契約社員であり、最高でも5年しか働く事ができない。理由は簡単である。女性は結婚してすぐに退職するから、正規で雇うことをしないというのである。このことに今まで泣き寝入りしてきた多くの女性がいた。そんな中、女性差別として会社側を訴えて、闘っているA(女性)さんと、その裁判を支援する市民の会の代表Bさんに取材に行ったのである(と言っても、松山という都会へ行けるというヨコシマな動機も正直あったが……)。

  ワゴン車一台にみんなで乗り込み、片道2時間かけてワイワイいいながら松山へ向かった。そして、Aさんたちへの取材がはじまった(ちゃんと、取材っぽく、カメラとマイクを持っていき、みんなで役割分担!)。
  「男性と同じ仕事をしていて、なんで給料が違うの!」
  いきなりそう切り出すAさん。ボクたちはAさんの話に吸い込まれていく……。

  「最初は契約職員でも、自分のやりたい仕事だったから、それでもいいと思っていた。どうせ大学を卒業して3年もすれば、いい人に出会い、結婚。だから女性だけが正社員になれないのも仕方ないと思っていたよ。結婚したら女性は会社を辞めて、家庭のことをする。会社としては、せっかくいろんな研修を受けさせて育てた社員が辞めていく。それなら、はなから正社員で女性は雇わない、と言い切る。すごくおかしいと思ったし、先輩たちからもいろいろ、聞いていたわ。
 でも、上司にそのことを誰も抗議しなかった。抗議したら、自分の立場が危うくなる。一年でも契約更新して、長く仕事をしたい。それに、そんなことをして、会社に残れたとしても、あとあと、そんな上司たちと一緒に仕事なんかしづらい……。そんなこんなで、いままでこの体制が続いてきたの」

  Aさんの話を聞くうちに、ボクはだんだんと会社側に腹が立つと同時に、自分自身が恥ずかしくなってきた。「女は家庭。男はソトで仕事」。ボクの価値観の中にもこの構図が当たり前のようにあったからだ。目の前で、そのことに怒りを示しているAさんを見て、それはおかしい話だ!と相槌を打ちながらも、会社側とまったく同じ理屈を持っていた自分もいた。それを隠しながらAさんに相槌を打っている醜い自分。自分自身に対してすごくショックだった。被差別部落に生まれ、人一倍差別のことを考えてきた「つもり」だった。そんな自分が、あまりにもコテコテのジェンダー観をもっていた。しかも、自分は女性差別なんてしないよ、と当然思っていた。

  Aさんの話を聞くうちに、どんどん自分の中に刷り込まれた女らしさ、女はこうあるべきだ、男はこうあるべきだという固定的な価値観に気付かされていく。自分らしさより、男らしさに縛られていた自分。人間らしさを忘れていた自分。すべてのことが、ボクにとっては衝撃的だった。自らの差別意識と向き合う瞬間だった。

 「最初の一年目は慣れない仕事で、それこそ大変だったわ。遊ぶ暇なんかまったくなかったの。でもやりがいがあって楽しかった。2年目、3年目になると仕事も覚えて、後輩もできる。そして仕事が楽しくなりはじめる。でも気付いたらもう、契約の期限がきている。多くの先輩は悔しいと言いながらやめていった。いざ、27、8で再就職といっても、自分の中ではまた、この業界に入りたいと思う。新卒の学生たちと一緒に試験を受けなければいけない。会社としては、もちろん、新卒の学生をとるわ。そうして失業していく。 仕方なくいろいろアルバイトをして食べていけなければいけない。
  すごく悔しい。気付いて、会社に抗議にいくのだけれど、全く相手にしてくれない。そこで、こうなったら、最後の手段として、裁判に出ようと思ったの。自分のためにでもあるけれど、これから入ってくる後輩たちのためにも、はやくこんなおかしなシステムをなくしたいと思ったから……」

  Aさんは、こうして契約最後の年に闘うことを決意した。最初は会社側にどんどん抗議した。しかし、まったく相手にしてくれない。さらに、彼女に対する待遇はどんどん冷たくなっていく。どんどん職場で孤立していく。周りの女性たちに一緒に闘おうと声をかけても、みんなのってこない。最後の最後に、彼女はひとり街頭で、その不当性を訴えるビラを撒き続けた。すると、思わぬ反響があった。商店街を歩いている女子高生や大学生、市民がちょっとずつだが、Aさんの訴えに耳を傾けはじめ、応援してくれる。さらには、「一緒に頑張ろうや!」という人もでてきた。そしてBさんをはじめ、彼女を支える会も結成された。彼女の声が、どんどん広がっていく。そして最後に彼女はこう言った。
 
  「最初は、敵と正面から闘うことばかりやってきた。頑張って、頑張って、その人たちと話合ったわ。でも、そのうち会社でどんどん孤立していった。私の同僚の女性社員からも……。すごくつらかった……。みんな自分たちの置かれている状況を嘆いていたのに……。いざ声をあげると、私だけだった。
  そんな時、多くの私を支援してくれる仲間たちと出会えた。そうして、どんどんその輪が広がり、ついには、会社側も私の声を無視できなくなったの……。」

  Aさんたちの闘いから、何か大きなことを学んだような気がした。帰りの車の中、運転するおっちゃんに向かってボクたちは言った。
  「なあ、おっちゃん、『ハンサベツキョウドウトウソウ』『第3期の解放運動』って、ひょとして『敵を探すより、まず味方を探せ!』ということやったんかな……? ねえ、おっちゃん!」
  おっちゃんは何も言わず、チラッとボクたちを見た。そして、ニヤニヤしながら運転を続けた。 その時はまだ、取材へ行ったメンバーの一人、Iちゃんの変化にだれも気づいていなかった・・・。
  そして宇和島に帰った彼女は……! (第13話へつづく)
 次回更新をお楽しみに!!



第11話 「初めての水平社宣言」

(2002/04/30up)


 高校生友の会(高友)が結成されてから、毎月1回の例会が行われるようになった。市内に被差別部落は3カ所あるが、どのムラも高校生が少ないので3地区合同というかたちで高友が運営されるようになった。あの時の教育長の発言もウソでなかった。市の「同和」教育課が高校生をバックアップしてくれるようになった。「ホンネで語れる場所にしよう」という取り組みから、活動がだんだんと軌道にのってきて2年目の全奨を迎えた。開催地が高知ということもあり、今回は20人近くのメンバーで行くことができた。
  鳥取全奨から1年が経った。あの時に地元で高友をつくることを夢見ていた自分を懐かしく思い出していた。そして、今回はその高友での参加。あっという間の1年間。そこには大きく成長したボクたちがいた。鳥取で出会った仲間との再会、夜の熱い語り合いなど、今回もまた、たくさんの元気とやる気を得た。宇和島に帰り、また報告集会を開くぞと意気込んでいた。

  地元に帰り、みんなで報告集会の内容を考えていた。報告集会でボクはどうしてもやりたいことがあった。
  「おれ、水平社宣言の朗読したい!」
  突然ボクは言った。何かわからないけど、ボクはあの宣言に惹かれていた。みんなも大賛成で、ワイワイ盛り上がっていた。が、水平社宣言を読みたいと言ったものの、宣言をまったく知らないし、覚えていない(笑)。
 本番まであと20日しかなかった。家に帰り、みんなで一文字ひともじ水平社宣言を模造紙に書き写した。それをベットの横に貼り、毎日毎日必死になって覚えようとしていた。しかし、高校生のボクにとって、あの宣言は難しすぎた。読めない漢字がたくさんあり、その漢字を調べ、読みがなをうち、朝起きた時、クラブの休憩の時、通学、入浴中、寝る前、とにかく必死になって覚えていた。
 
  やっと一通り暗唱できるようになり、ボクは嬉しい気持ちを隠しきれず、「同和」教育課のおっちゃんのところへ伝えにいった。
  「おっちゃん、聞いてや! 水平社宣言、暗唱できるようになったで!」
  「宣言! 全国に散在する吾が特殊部落民よ団結せよ! 長い間……」
  なんとか一通り読み終えたボクは満足げにおっちゃんの顔をみた。「すごいやないか! やすし、よく覚えたな〜。」とメチャクチャ誉められると思っていた。が、しかし、
  「やすし、だめや! やり直しや、そんな宣言なら読ませることはできん!」
  ボクは一瞬とまどった。おっちゃんの言っていることが理解できなかった。
  「一字も間違わず、完璧に読めたのになんでだめなの!」
  ぶつけるように言った。
  「もう一回、宣言をしっかりと読め! お前は、何にもわかってない。あの宣言に込められている思いをしっかりと受け止めて読め! それができんようやったら、当日読むな!」

  悔しさと、歯がゆさをかみしめながら家に帰り、もう一度宣言を何度も読み返した。部落問題の本を片手に一文一文、意味を調べた。
 「ケモノの皮剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥ぎ取られ……」
  自然と涙が溢れていた。
  「吾々がエタであることを誇り得る時が来たのだ!」
  拳を握りしめている自分がいた。
  「人の世に熱あれ、人間に光あれ!」
  何度も何度も読んだ。おっちゃんの言っていた意味がやっとわ
かるようになった。

  報告集会の前日。会場作りを終え、誰もいなくなった会場にはめいいっぱい、夕日が差し込んでいた。そこにボクとおっちゃんの2人が立っていた。おっちゃんがハーモニカで解放歌をふく。そのメロディーだけが静かに流れる……。ボクはそれをバックに宣言を読もうとした。しかし、いろんな思いが込み上げてきて、最初の言葉が出ない。なんて重たい言葉なんだ! 今まで聞いた宣言とはまったく違うじゃないか! ボクの体はブルブル震え、涙がとまらない。
  解放歌は終わろうとしていた。ボクは大きく深呼吸して、震える体をおちつかせるように
  「宣言! 全国に……散在する……、吾が……特殊部落民よ……団結せよ!」
  この一文に1分もかかった。一文字を読む声は震え、当時の人たちの思いを一身に受け、大きく、そして重たく、宣言を読み続けた。途中、何度も何度も声がつまり、そのたびに全身に力を入れ読み進めた。
  「人の世に熱あれ、人間に光あれ!」。
  おっちゃんのハーモニカが静かに音を消す……。長い沈黙のあと、おっちゃんから力強い拍手があった。1922年3月3日、京都岡崎公会堂での全国水平社創立大会。あれから80年近く経とうとしていたその時、ボクがその思いを頭ではなく、体で感じとり、しっかりと受け継いだ瞬間だった。

  集会などでよく聞く宣言。ボクたちはどれだけあの宣言の思いを胸に刻み、聞いているだろうか。水平社宣言の学習をする時、ただ棒読みで済ませていることはないだろうか。ボクにとって、生まれて初めての水平社宣言朗読。いつまでもあの思いを持ち続けて生きていきたい。  (以下、第12話につづく)


第10話 「ソトに向けている指を、まず、自分に!」

(2002/03/29up)

 「全奨」から帰ってきたボクたちは、さっそく熱い気持ちをみんなに伝えたい! この喜びを早く地元のみんなに伝えたい。鳥取へ遊びに行ったんやないぞ、旅費の3万円分は確実にゲットしてきたぞ! ボクたちのこの姿を感じて欲しい!と強く思い始めた。
  「よっしゃ、オレらのこの気持ち、宇和島のみんなに伝えようや!」
  「オレらが見てきたこと、感じたこと、この思いを伝えるために報告集会ひらこうぜ!」
  とボクたちははりきっていた。
  日程が決まった。夏休み最後の日曜日である。夏休みだったので、みんな部活動が終わった後などに集会所に集まって、感想文やポスター、ビラ、会場のたて看板を連日のように作った。そして、報告集会が近づくにつれてボクたちはいろんな人に声をかけまくった。各高校の先生、校長、教育長、地元の新聞社などなど。宇和島で何かおこりそうな予感がしていた……。
  ボクは自分の担任や高校の先生にもぜひ来て欲しくて、夏休みだったがビラをもって高校へいった。職員室に入り、手作りのビラを一枚一枚、先生たちの机の上に置いていった。 その時である。ある先生がビラを手にとり不信そうにボクを呼び止めた。
  「おい、川口、なにやっとんや?」
  「先生、あんね、オレら部落差別なくそうと、鳥取の集会へ行ったんや! そこですごい、いろいろ、差別のこと勉強して、この思いをみんなに聞いてもらいたいと思って、今度、報告集会をひらくんよ! 先生も絶対来てや。来て、高校生らの思い聞いてや!」
  ボクは1人でも多くの先生に来てもらいたかった。来て、ボクたちの声を聞いて欲しかった。ただそれだけだった。が、しかし、そんなボクを前にして、また、少しずれた答えが返ってきた。
  「これ誰がやりよんど。どこが主催してやりよるんど。お前らが勝手にやりよんか?」
  明らかに、意味ありげな調子で、嫌味っぽくボクに言う。
  「だれが、やりよんど?って、ボクたち宇和島の高校生が自主的に差別なくそうとやりよるんよ!」
  ボクから言わしてもらうと、「先生たちが本気で「同和」教育をやらんから、ぼくたちが自主的に活動しよるんや!」って感じ。のどまで出かかった声を押さえた。とりあえずに報告集会にきてくれたらわかる。そう思って、ボクは1枚、1枚、机の上にビラを置いていった。

  そして、いよいよ当日がやってきた。ボクたちはどれくらいの人が集まるのか心配だった。いままで、こんな集まりなど聞いたことがなかったから・・・。そんなボクたちの不安をよそに、1時間前くらいから、ぞろぞろと人が集まってきた。あっという間に120人くらいの人が集まった。これにはボクたちもビックリ!会場は建てられて間もない地元の隣保館。その大ホールが超満員! 市内の先生や、地元のおっちゃん、おばちゃん、もちろんボクたちの親など、さらに驚いたことに、な、なんと教育長まで来てくれていた(ボクたちの「スーパーホットライン作戦」(電話作戦)が大成功!)。へへ、こうなってくるとボクたちは緊張するどころか、逆に燃えてきた。ボクたちの熱い思いを伝えたい! 聞いて欲しい!
  「よっしゃ、いっちょやってやろうぜ!」
  集会もはじまり、ボクたちは1人ひとり「全奨」で学んだことを報告し、高校の「同和」教育への厳しい指摘、今の自分たちの思いをホンネで熱く語っていた。
  そんななか、メンバーの1人、健くん(仮名)が自分の親のことを語り始めた。
  「ボクのお母さんは……、ボクを産むときに体が弱くて、ボクを出産したら、お母さんの命が危ないと言われていた。でも、お母さんは自分の命をかけてでもという思いで、ボクを産んでくれた。その結果、命は助かったんやけど、下半身不随になったんや! 今は車イスを使って生活してるんや……」。
  健くんは目に涙をいっぱいにして、一言ひとこと、つまりながら語った。
  健くんは今まで、友達を家に連れてくることを避けていた。学校の参観日など、お母さんが健の勉強してる姿をひとめ見たいと言っても、健くんは「来るな!絶対こんでくれ」と言ってきた。友達に車イス姿の母を見られたくなかったからだ。自分の命をかけてまで産んでくれた母。その母に誰よりも強い思いがあった。でも「車イス」姿ということがマイナスであるという価値観を持たされてしまい、健くん自身、大きな葛藤の中で母に「来るな!」と言ってきた。その言葉がどんなにお母さんを傷つけるかを知っていて……。
  健くんは必死に自分を語った。そして最後に、今までの自分に別れを告げるように、自分自身へ言った。
  「お母さん、今まで本当にゴメン……。……ボクを産んでくれて本当に、あ、り、が、と、う……」
 
  会場にきていたみんなは、健くんの報告に胸を熱く打たれた。会場の「熱」はピークに達しようとしていた。その時である。会場の後ろの方にいた、健くんの母がマイクを手にした! そうだ、その会場に来ていたのである!
  健くんは前日まで悩んでいた。母を報告集会に誘うかどうか。今まで、人前には一度も母の姿をみせまいとしていた。「全奨」に行き、みんなが自分の親のことを語る。強烈な結婚差別を受けながらも、愛する人と結婚した。そして今のボクたちの命があること。生活がしんどくても、子どもには腹いっぱい食わしてやりたい! 自分らが学校に行けず苦労したから、せめて子どもには教育をつけさせてやりたいと必死で働く親。そんな自分たちの親の姿から、自分自身を見つめなおす高校生。健くんも同じように自分自身と向き合ってきた。「全奨」が終わってから報告集会までずっと向き合い続けてきた。そして、今日、母をよんできたのである。
  健くんの母は震える手でマイクをしっかりと握り、ゆっくり語りはじめた。健くんの出産のこと、健くんへの思い、その後の健くんの態度など……。最後にボクたちに
  「全奨に行って、健がこんなに変わって帰ってくるとは思わなかった。同和教育、解放運動に、ここまで人を変える何かがあると思っていなかった。今までいろんな苦労をしてきたけど、今日の健の話を聞いて、頑張ってきてよかった。本当にありがとう、これからも一緒に頑張っていこう!」。
  会場にいたみんなの目には涙が溢れていた。
  その後も次々と会場からの発言が続いた。 ムラの母ちゃんが以前、結婚差別を受けて、その時、誰にも相談できず辛い思いをしたこと。都会に出て出身を隠し生きていたこと。学校に行けず、文字を奪われてきたこと。会場からの発言は途切れることなく続いた……。

  2時間近くの報告集会はあっという間に終わろうとしていた。最後に教育長がマイクを手にし、「こんなにも、子ども達が必死になって部落差別をなくそうとしているのに、私自身は何をしていたのか情けなくなった。これからは宇和島市の教育委員会としても出来るだけ高校生の活動を応援したい!」涙ながらに語った。ボクたちは、教育長の発言がタテマエがホンネかは一発でわかった。彼は本気だ! よっしゃ、これからみんでガンバっていこうや!
  こうして、なんのバックアップもなかったボクたち高校生の活動は、市の教育委員が応援をしてくれるようになった。ボクはこのとき思った。いままで、指をソトにばかり向けていた自分がいた。
  「宇和島は解放運動が弱いから……」
  「高校の先生は何もしてくれないから……」
  「うちのムラは……」
  状況が厳しいことをソトにばかり指を向けて嘆いていた。でも、その前にソトに向けている指を、まず自分に向けることを忘れていた。
  「じゃあ、お前は、そんな状況で何をしてきたんだ! 愚痴ばっかり言って、何もしていない自分をあれやこれやとソトにばっかり指向けて、自己を正当化していないか?」
  そう自分自身に問いかけていた。答えはいつもシンプル! ソトにばかり指を向けていても何も変わらなかった。まずは自分に指を向けよう! 自分の出来る精一杯のことをやることから始めよう! そうすれば、自然とソトにも影響があたえられる。状況が変わってくる。ボクらのすべてはここから始まった! (以下、第11話につづく)



第9話 「初めての『全奨』Part2〜闘う武器は豊かな言葉」

(2002/02/02up)

  
 2日目の分科会がはじまった。分科会にかるく300人はいただろうか。ソワソワしながら報告者の発表を聞いていた。すると、なにやら聞き慣れない言葉が飛び交っている。
 「…コウトモ…、…ブラッケン…、…ショウガクセイ?」
 僕たちは思わず顔を見合わせた。
 「おい、なんや、『コウトモ』って?」「ブラッケンって、志村けんの仲間か?」
 「オレら高校生なのになんでみんな解放『小学生』っていうんや?」
 そう、当時のボクたちは「高校奨学生友の会」(高友)や部落解放研究会(解放研)、「解放奨学生」ということなどまったく知らなかったのだ!

  昼食の休憩時間、弁当を持ってボクたちは司会者や報告者のところへ駆けつけた。
  「なあ、コウトモとか、カイホウケンについてもっと教えてや! どんな活動しよるん?」
  「お前らのとこには、高友とかないんか? 学校に解放研とかないんか?」
  そんな活動あるはずがない! ボクらの世代でようやく立場の自覚という大きな壁を乗り越えられたばかりだったのだから…!

  気がつけば、ボクは弁当もそっちのけで、必死になって、みんなに質問攻め。話を聞けば聞くほど、ボクは興奮してきた! しかも同世代の高校生が自分たちでやっている! 「こいつらーすげー!、オレも宇和島でそんな活動やりてー!」と胸一杯になった! まるで、真っ暗な部屋に一筋の光がジワジワと広がり、照らしはじめるように……!
 
  午後から質疑応答になった。午前中の報告に対する質疑応答のはずだったのに、フロアーのマイクを握る高校生たちは、自分たちの思い、生き様、差別の現実を語る。1人の女の子が交際を反対されていることを涙ながらに語る。また別の子は、クラスでの立場宣言に悩んでいることを語る。紙を持って、ふるえながら語る子、涙ながらに語る子、同じような体験を頑張って乗り越えた子が自分の体験を語りながら思いを返す。言葉に胸つまらせ、沈黙が流れる…「がんばれ!」と拍手を送る声。1人が語り終えたとき「ヨッシ!」と拍手と声が飛ぶ。マイクの前には常に人がならび続けていた……。

  その熱気はまさにボクの身体を震撼させていた。体中に熱く流れる血が飛び出しそうなくらいボクの身体をかけめぐっていた。身体が何かを感じていた。

  帰りの電車、「全奨」でのこと、これからのことについて興奮し、熱く語っていたそんなボクたちの姿をみていた引率の若いF先生(中学)が
  「やすし達がうらやましい……! 実は……先生も……部落出身なんや!」
  ボクたちはがく然とした。なんで、もっと早くオレらに言わんかったん!
  「オレが高校生の時には、今みたいな同和教育がなかったんや……。こんなことを語れる場、仲間がおらんかった……。高校時代にバレー部の仲間と言い争いになったんや。その時、突然、相手は指を四本つきだして……この『エッタ』が!……と。オレは、頭が真っ白になった。と、同時に気がつけば、相手に殴りかかっとった! 悔しさと憤り、相手に殴りかかることしかできんかった。先生はな……、拳でしか……差別に立ち向かえんかったんや……。たまたま、その時側にいた別の友人が必死にオレを止めてくれたからよかったんやけど……」

  F先生の顔は真っ赤になっていた。
  「その時のオレは情けないけど、相手を殴ることでしか、差別と闘うことができんかった。闘う武器がなかったんや! お前らは、こうやって拳じゃない、相手を説得できる言葉と、共に闘う仲間がこんなにおる。お前らを見てると、10年前の自分が情けない……。もっと早く今みたいな同和教育があったら……」

  F先生の突然の立場宣言。差別への怒り。差別と闘う武器の大切さ。そんな思いをそれぞれがしっかり受けとめた。そして、今回の旅費の話(第8話参照)を聞いた。ボクたちは宇和島までの帰路、身体で大きな何かを感じとっていた。7人、それぞれの目が変わっていた。 「……此際吾等の中より人間を尊敬する事によって自ら解放せんとする者の集団運動を起せるは、寧ろ必然である……」(「水平社宣言」より)。
  「全奨」から帰ってきたボクたちは……。  (以下、第10話に続く)  




【川口泰司さん自己紹介 】

1978年生まれ。愛媛県宇和島市の被差別部落に生まれる。
小学6年生の時、「ブラック差別」と勘違いして立場を知る。中学時代、同和教育に本気で取り組む教師、同和教育との出会いから、解放運動に取り組むようになる。

趣味:サーフィン(海に行く途中、車でおもろい講師のテープを聞き感動している)、読書、メール
特技:部落問題を熱く語ること(放っておくと一日中語っています)
好きな言葉:「解放運動はフットワーク→ネットワーク→ライフワーク」「願生る(がんばる)」
 



 

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