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司法改革のあり方
〈『部落解放』2003年6月号〉
(2003/05/16up)
いまの司法には、もちろん改善すべき点は実に多い。
私自身も行政裁判を担当して、多くのさまざまなハードルがあり、行政裁判で勝訴することはほんとうにむずかしいと実感している。
狭山裁判も弁護団は一丸となってがんばっているけれども(私も弁護団に加えていただいている)、証拠開示はなかなか進まず、
えん罪だと客観的に立証ができているはずなのに、まだ再審で無罪はかちとれていない。最近、袴田事件の資料をあらためて
読んだけれども、えん罪と思われるのに、袴田さんは拘禁されたままである。
大学生のときに刑事裁判を初めて傍聴して、ショックを受けた。
殺人事件だったが、私には、刑事被告人が裁判の手続きをちゃんと理解しているようにはとても思えなかったからだ。
法廷で彼は「主人公」のはずなのに、あんまりよくわかってないように見えた。多くの国民にとっては、裁判はとてつもなく遠く、
非常に利用しにくいものだろう。
だから、「司法改革」が叫ばれる理由はあるし、改革はやっていかなければならないのだ。
しかし、である。評価すべき改革もあるが、「おいおい、ちょっと待ってよ」というものもあり、「非常に問題」というものもある。
行政事件訴訟法を全面改正し、行政訴訟で裁判所が国や自治体に対し、必要な措置を義務づけ、
訴えの「全面解決」につながるような判決を出せるよう明文化するものは、評価してもいいと思う。
しかし、裁判に負けた者が、勝った者の弁護士費用も負担するという「敗訴者負担の制度」の導入には反対である。
問題提起型裁判が、社会に問題を投げかけ、切り開いてきた面がある。また、たとえば会社を相手に
セクシュアル・ハラスメントの裁判を起こす場合には、圧倒的な経済力の差がある。
「金を返せ」「離婚したい」というときだって、自分の弁護士費用はまあ払えるけども、
相手方の弁護士費用を払うのはあまりに負担だということだって、ほんとうにあるだろう。
さらに問題なのは、裁判迅速化法案である。すでに、今国会に上程されている。
「裁判の迅速化に関する法律案」は、二条において「裁判の迅速化は、第一審の訴訟手続については二年以内の
できるだけ短い期間内にこれを終局させ、その他の裁判所における手続についてもそれぞれの手続に応じてできるだけ
短い期間内にこれを終局させることを目標として、充実した手続を実施すること並びにこれを支える制度及び体制の整備を
図ることにより行われるものとする」としている。つまり、努力して、二年以内に終わるようにしろと言っているのだ。
裁判は長くかかるから、二年で終わるなんていいじゃないと思われる人も多いだろう。
しかし、実際、多くの裁判は二年もかかっていない。むしろ、法律でこんなことを規定することで、十分な審理が行われなくなる危険性がある。
高速増殖炉「もんじゅ」の設置許可処分を無効とする判決なんて出なくなってしまうのではないか。
原告が多い集団訴訟や大型裁判もあれば、専門的な知識が問われる裁判もある。現場の検証が必要な裁判もあれば、
鑑定が必要なものもある。二年以内と条文に規定されたら、証人尋問など、どんどん削られてしまうのではないか。
事件はケースバイケースなのに、こんなに一律に定めたら、裁判で十分に審議することができなくなってしまう。
また、裁判員の制度の導入は、「司法の民主化」「国民の裁判への参加」という面で、大きな流れのなかで評価できる
ものだろうけれど、注意すべき点はいっぱいある。
過半数で有罪を決めるという案が出ているが、これでいいのだろうか。
また、裁判員制度の導入の前提として「捜査の可視化」と「証拠開示」が不可欠である。
いままで日本でえん罪で無罪となったケースは、弁護士たちが、でき上がっている自白調書と物証の不一致を
ねちねち延々ときちんと立証したりして、自白の任意性などがないことを明らかにしてかちとったものが多い。
裁判員制度の導入や裁判の迅速化のなかで、こんなことがきちんとできるだろうか。えん罪などをなくすためにも、
捜査手続きを透明化すること(捜査実況を録音にとることなど)と、証拠の全面開示を法文化することが不可欠の前提である。
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