福島みずほの人権いろいろ


月刊誌『部落解放』好評連載中コラムを福島みずほさんのご了解を得て、転載いたします。

「参議院議員・弁護士 福島みずほのWebsite」はこちら



 

「日本人か、それで」
〈『部落解放』2003年8月号〉

(2003/07/18up)

 有事立法三法を議論する特別委員会でこう質問をした。「保管命令義務違反が六カ月以下の懲役になるということは、戦争に協力するのか、刑務所に行くのか、二者択一になってしまう。戦争に協力したくないという思想・良心の自由に対する侵害となるのではないか」
  すると、「日本人か、それで」と野次がとんだ。「日本人か、それで」というのは「非国民」ということである。
  法案審理のときにこんな野次がとぶということに、ほんとうに危機感を感じる。
  私の国籍は日本である。そして、「日本人か、それで」と野次がとぶ。こんな状況のなかで、在日韓国人・朝鮮人の人たちをはじめ外国人の人たちの孤立感・危機感はすごいものがある。朝鮮学校や在日朝鮮人に対する嫌がらせも増加している。
  こんななかで、二つのことを思い出した。
  一つは、ナチス・ドイツ下における写真集の中の一枚の写真である。ダンチヒ市議会において議員全員が起立し、ナチス式の挙手をしているが、二人のポーランド人だけが、しっかり挙手をしていないのである。ナチス占領下、二人のポーランド人は、挙手を明らかに拒否している。
  この二人は、その後どうなったのだろうか。
  ほとんど全員が賛成している(ところで、有事立法三法について、衆議院は九割以上が賛成した)なかで挙手をしないことは大変だっただろうと思う。でもこの二人のポーランド人は、問題が十分すぎるほどわかっていたのだろう。
  もう一つ思い出すことは、アメリカにおける日系人の強制収容所の問題である。一九九一年、アメリカのスミソニアン博物館で見た日系人収容所問題の展示は忘れられない。
  日系人は、第二次世界大戦中、「敵性外国人」であり、スパイを行う可能性があるとして、まずは夜間外出禁止令が出され、その後、一枚の紙きれで、収容所に送られた。当時の新聞は、ヒステリックに、日系人を敵性外国人としてあおっている。
 
夜間外出禁止令に違反し、確信犯として刑務所に送られたある日系アメリカ人が、その後ずっと経って、再審請求を起こす。「自分は無罪である。外出禁止令こそ合衆国憲法に反していたのだ」と。裁判所は、当時のメディアもふくめ「戦時ヒステリー」であったとして、彼の再審請求を認め、無罪を認める。一九八〇年代のことである。
  私の祖父母もアメリカに移民をした。子どものころ、戸籍を見ると父親がハワイ州生まれとなっていることが不思議だった。父親の姉妹たちもアメリカで生まれている。祖父が病死し、祖母は子どもたちを連れて日本に帰っていった。同居していた祖母からよくアメリカの話を聞いた。祖母はブロークンの英語をしゃべっていた。
  サンフランシスコに行ったときに、いとこに祖父の弟に電話するように言われていた。うまく電話ができず、会ったり、話をしたりはできなかった。祖父の弟は、日系人の強制収容所に送られていた。
  私は、外国人や難民の問題をとりくむときに、心のどっかに「私の祖父母は移民をし、父も外国で生まれたのだ」との思いがあるのかもしれない。また、外国人に対する排斥運動に敏感になるのは、どこか「在日日本人」として生き難さを感じているのかもしれない。 メディアを見ていると、どんどん北朝鮮を「仮想敵国」としていっているように思われる。そんななかで、在日韓国人・朝鮮人の人たちは、危機感をつのらせている。私は、朝鮮半島に対する差別の感情も「仮想敵国」に仕立てていく要素になっているのではないかと思う。アメリカ人が日系人や日本を第二次世界大戦中、差別していたように。
  戦争と差別・排外主義はともに手をたずさえてやってくる。
  「日本人か、それで」とあるように、心の中に踏み込んでくることも多くなる。教育基本法の改悪にしても、子どもたちに配られた「心のノート」にしても、心の中へのコントロールが強まっている。二十一世紀を平和と人権の世紀にと願った運動の成果がまさに問われている。




「福島みずほの人権いろいろ」index


HOME


JINKEN BOOKは、(株)解放出版社が提供しています。 無断転載を禁じます 。
Copyright (C)Buraku Liberation Publishing House Co.,ltd 2001, All Rights Reserved


E-mail

(株)解放出版社
Phone:06-6581-8542(代表) Fax:06-6581-8552
東京営業所: Phone:03-5213-4771(営業) FAX:03-3230-1600