福島みずほの人権いろいろ


月刊誌『部落解放』好評連載中コラムを福島みずほさんのご了解を得て、転載いたします。

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二つの事故から見えるもの
〈『部落解放』2004年10月号〉

 

 福井県の美浜原発3号機で蒸気噴出事故が起こり、五人の方が亡くなった。
 現地の視察を行い、調査を行った。
 建屋のなかにはいると、さまざまなものが飛び散り、爆発現場のようだった。配管は、紙がめくれるように壊れている。
 二十六年間、検査がなされていないということにもほんとうに驚いた。指摘を受けながら、なぜ放置してきたのか。定期検査の準備ということで、狭い建屋のなかに約二百二十人の人たちがはいり、作業をしていた。運転をストップさせて作業をしていれば、惨事は起こらなかった。
 下請け会社の社長さんにもお会いした。作業をし、被害にあったのは、下請けの人たちである。
 「命」を軽視していることに愕然とした。
 また、沖縄で米軍ヘリが沖縄国際大学本館ビルに激突し、墜落炎上するという重大な事故が発生した。さっそく調査に行った。
 住宅街のなかの大学の建物に激突したのだ。
 屋上にはヘリが引きずった跡、建物の縁の一部は壊れ、壁は黒焦げになり、内部に壁の一部が崩れ落ちていた。二重になっている窓ガラスを破って、部品が事務室に飛び込んでいた。事故により大学の学術情報ネットワークは切断されてしまった。
 惨事である。人命が失われなかったことは、まさに奇跡中の奇跡であると実感した。近所のアパートなどにも破片が飛び込んできている。
 あらためて今までどのような事故が起きているのか調べてみた。毎年毎年、多くの事件が起きている。民家に米軍機が墜落、民間人六人が死傷、別の事故では民間人七人が死亡し、八人が重軽傷。こういった事故が続いている。
 今回の墜落事故についても、米軍の専門家たちは、現場でヘリが墜落するのを見ている。そして、専門家たちは、米兵を救出し、ヘリの残骸をすべて持ち去っている。
 学長もふくめ大学側は、事故直後、何が起きたのかわからず、お互いの安否を確認するので精いっぱいだったと聞いた。つまり、米軍は、米兵の救出と軍事機密の保持に全力をあげ、日本側に対する通知や通告は一切なされていないのだ。
 大学側が撮った写真のなかに、米軍の一人が壊れた機体のところにガイガー・カウンターをあてている写真がある。また、黄色の防護服とマスクに身を固めた二人が、シートでおおって物を運び出そうとしている写真も新聞で報道された。
 放射能もれの可能性がなければ、ガイガー・カウンターを使用する必要はまったくない。放射性物質、劣化ウラン弾などを積んでいたのかどうか、明らかにする必要がある。現場は、真っ黒焦げになった木が一本残っているだけで、後の木はぜんぶ切られ、土壌も深く掘られ、持ち運ばれている。なぜ、土壌もぜんぶ持っていく必要があるのか。
 八月二十二日に、同種のヘリ六機が飛び、沖縄からイラクへ向かった。今回墜落した米軍ヘリもイラクへ向かうユニットに含まれていたという回答を米軍からもらった。
 イラクのための訓練をしていて、墜落したのだろうか。何を積んでいたのだろうか。
 沖縄の海兵隊がイラクのファルージャでの攻撃に参加している。
 沖縄で調査をし、話を聞いていると、沖縄の向こうにイラクがつながっているとも思う。
 私たちの政治や社会は、ほんとうにこれでいいのか、何に加担しているのか、ほんとうに考えられるべきである。
 普天間飛行場の返還は、遅れに遅れている。
 十六年がかりで辺野古沖に一兆五千億円かけて代替の海上基地を造ると日本政府は言うのだから、これまたあきれる。辺野古に行くと、ボーリング調査を阻止するために、百五十日以上もの座り込みを住民の人たちがしていたところだった。私も一緒に座り込みに加わった。
 普天間基地もいらないけれど、辺野古の珊瑚の海をつぶして海上基地を造ることもいらない。
 原発の事故も、基地をかかえる沖縄の事故も、私のなかではつながっている。永田町から遠いところ、弱いところに犠牲を押しつけて、政治は見ようともしないのだ。「命」を軽視してよいはずがない。




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