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安倍晋三さんの発言
〈『部落解放』2006年9月号〉
安倍晋三さんの『美しい国へ』『安倍晋三対論集』、さまざまな発言、インタビュー記事、そして、委員会での答弁などを読んだ。
あらためて本当にびっくりした。
まず、第一に、その憲法論と平和論についてである。「いずれにせよ次の内閣は、政治日程として憲法改正を取り上げる初めての内閣になるでしょう」(『対論集』)、「新しい時代、新しい世紀を迎えて『われわれの手で新しい憲法をつくっていこう』という精神こそが、新しい時代を切り開いていくと私は思うんです」(『論座』二〇〇四年二月号)と述べている。集団的自衛権とは、「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」を言う。この集団的自衛権について、安倍さんは、「私は、現行憲法でも行使できると思っています」(前掲『論座』)とさえ述べている。
明確に、改憲に取り組み、交戦権があるようにし、集団的自衛権は改憲しなくても行使できると述べている。これは、今の政府見解をすら大きく踏みにじるものである。
また、「それ(日本の行動としては、米軍とともに武力行使をする、テロリストを排除すること)が可能になるということです。そこで日本人はよく早とちりをするのですが、『できるようにする』ことと『やる』ことの間には大きな差があるのです。集団的自衛権を行使するかしないかは、政策的判断です」と述べている。
憲法や法律が何なのかわかっていないのではないか。憲法や法律で「やれるようにする」ことが問題であり、アメリカとともに世界のどこかで戦争ができるようになるということが問題なのである。
「戦争をすることは違憲ではないか」と国会で裁判所で街角などで言えなくなってしまう。日本国憲法前文が言っている「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」ということがなくなってしまうことは大問題なのである。
また、前述したように、集団的自衛権は改憲しなくても行使できると言っていることと、改憲との関係も実はよくわからない。安倍さんは「憲法の規範力」ということがまったくわかっていないのではないか。
第二に、国家観、人間観の問題である。
「日本の歴史は、天皇を縦糸にして織られてきた長大なタペストリーだといった。日本の国柄をあらわす根幹が天皇制である」(『美しい国へ』)。「今日の豊かな日本は、彼らがささげた尊い命のうえに成り立っている。だが、戦後生まれのわたしたちは、彼らにどうむきあってきただろうか。国家のためにすすんで身を投じた人たちにたいし、尊崇の念をあらわしてきただろうか。たしかに自分のいのちは大切なものである。しかし、ときにはそれをなげうっても守るべき価値が存在するのだ、ということを考えたことがあるだろうか」(『美しい国へ』)。
国家のために命をなげうつことが必要であり、大事であると言っているのだろうか。
「国家のために命を投げ出せ」という教育をし、また、そういう政治を行ってきたことが大問題ではなかったのだろうか。私たちは、日本の三百万人以上の人たち、アジアの二千万人以上の人たちの尊い命の犠牲の上に、今日生きている。だからこそ、もう戦争をしない、命を粗末に扱わない、「国家」や「愛国心」ということで「命を投げ出させない」ということが必要だと考える。
第三に、「再チャレンジビジョン」についてである。これは、霞ヶ関の役所から具体案をつのり、集めたものである。格差を拡大していく労働法制の規制緩和や社会保障の切り捨てを進行させておきながら、税制の改革をしないのだから、根本的な改革とはなりえない。格差を拡大させ、芥川龍之介ではないけれど、「蜘蛛の糸」を垂らし、「再チャレンジ」と言っているようなものではないだろうか。多くの人はむらがり、そして、糸は切れていく。根本的な政策の変更、格差是正への挑戦こそ求められている。
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