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なぜ教員免許更新制なのか
〈『部落解放』2007年6月号〉
国会で教員免許を更新制にする法案が審議されている。正確には、「教育職員免許法及び教育公務員特例法の一部を改正する法律案」であり、他の二つの法案とともにいわゆる教育三法として議論されている。
教員の免許が更新制になったら、教師になる人は減ってしまうのではないか。あるいは、元気な教師も、物言う教師も、おもしろい教師も、学校現場で黙ってしまうのではないか。
もし私が教師になって、「戦争はよくない」とか「日本国憲法は大事だ」という授業をやっていたとする。でも更新の時期が近づいたら、生活のことを考えて、おとなしくしておこうと思うかもしれない。先日、地方都市に行って、ローカル線に乗るためにホームにいると、若い女性が話しかけてきた。教師だと言う。「私は子どものときに学校の先生に、戦争はよくないと授業で教わった。でも自分が教師になると、『戦争反対』ということも何か授業で言えないんですよ」と語ってくれた。ますます物が言えなくなるだろう。
教員免許更新制の導入とは、免許状に一〇年間の有効期限を定めるのである。満了のときに、申請により更新することができることになる。免許管理者は、免許状更新講習を修了した者などについて、免許状の有効期間を更新する。
講習を受けることと免許の更新がリンクしていることが変だ。講習が必要なら受講義務を課せばいいわけで、更新するかどうかを受講の結果で判断するのはおかしい。その人が教師としてふさわしいかどうか、なぜ判断できるのか。しかもこの講習は、大学その他文部科学省令で定める者が文部科学大臣の認定を受けて行うのである。国の認定を受けた者が行う講習を三〇時間以上受けなければならない。
自発的な講習などではない。文科大臣の認定を受けた人が行う講習はどのようなものになるだろうか。
その講習を受けた後、免許管理者が免許を更新するかどうかを決める。免許管理者とは、教育委員会である。
教師は、教育委員会の意向をいままで以上に非常に気にするようになるだろう。教育委員会が生殺与奪権を持つからである。
日の丸・君が代の強制はおかしいと言ったり、集会などに参加する教師は、眼をつけられ、免許を更新されなくなってしまうのではないか。自由な教師のいないところでは、教育は死んでいく。
この免許更新制のほかに、指導が不適切な教員の人事管理の厳格化も法案に盛り込まれている。
任命権者は、教育や医学の専門家や保護者などの意見を聴いて、「指導が不適切な教員」の認定を行う。この保護者とは、PTA会長などを指すというのが文科省の答えである。指導が不適切と認定された教員は、研修を受けなければならない。そして、研修終了時に改善の状況について認定が行われ、任命権者は、指導が不適切であると認定した者に対して、免職などができる。
この「指導が不適切」というのはどういう場合を指すのだろうか。それこそ日の丸・君が代の強制に反対したりすると、指導が不適切となるのではないだろうか。
教師は、分限処分でやめさせられるか、指導が不適切という理由で研修が終わった段階でやめさせられるか、教育委員会が免許を更新してくれないという形でやめさせられるか、いろんな方法でやめさせられることになる。教育委員会に文句を言うなんてまったくできなくなるだろう。
海外で教員免許の更新制度を持っているのは、アメリカの一部の州くらいしかないといわれている。しかもアメリカは、教育は中央集権ではない。
なぜこのような制度の導入なのか、先生たちへの脅しとしか考えられない。
四月、子どもたちの全国学力一斉テストが行われた。子どもたちの自発性や地方分権より、一斉にやる学力テストであり、学校ごとの評価も子ども一人ひとりの評価も一律に決められる。子どもたちはいろんな可能性があり、教育は自由な魂を持った主権者をつくるものなのに。
教育のなかから自由がなくなっていくのではないか。
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