福島みずほの人権いろいろ


月刊誌『部落解放』好評連載中コラムを福島みずほさんのご了解を得て、転載いたします。

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臓器移植法の改正案
〈『部落解放』2009年8月号〉

 

 臓器移植法の改正案の採決が、衆議院でなされ、いわゆるA案が可決された。これから参議院で審議され、私も質問をする。
 「いのち」についての大事な問題を含んでいる。拙速に成立させてはならないと危機感でいっぱいだ。私は、このA案に反対である。なぜか。生前に本人の意思がなくても、遺族が臓器の摘出について承諾すれば、臓器を取り出せるのである。年齢の制限ももうけていないので、子どもの臓器について、親が承諾すれば取り出せることになる。
 万が一、虐待の結果死亡した場合に、親は、犯罪を隠すためにもすぐ承諾するなんてことにはならないだろうか。
 私は、「いのち」は何よりも大事なものと思い、その「いのち」については、だれよりも本人の意思が尊重されるべきだと思う。延命治療はあまりしたくないと考える人がいたり、死はこういうふうに迎えたいという人の考えがあり、また、「献体」ひとつとっても人によって違う。人さまざまだからこそ、その人の意思が尊重されるべきである。
 また、A案は「遺族」「家族」という言葉を使っているが、これは法律用語ではないし、とっても危険だ。「遺族」や「家族」とは何をさすかは、まったく明らかではないのである。法定相続人なら、一義的にわかる。しかし、ペットも家族かという論争でも明らかなとおり、範囲が不明確なのだ。
 手術をするときに、手術の承諾書を書いたりする。これは、多くの場合、家族か知り合いが書くことが多いだろう。法的には何も意味がない。手術の承諾だけであって、事故があれば、裁判は起こりうる。
 今回、問題になっているのは、臓器移植である。摘出すれば、もう生きることはできない。そのことを決めるのは、やはり本人であるべきである。A案によると、父が摘出に賛成し、母が反対しているときはどうなるのか。子どもたちの意見が対立しているときはどうするのか。一刻を争うという事態になれば、駆けつけた「家族」の一人に書面で承諾をとり、臓器を取ることになるだろう。その後、相続人や家族や遺族で対立が起こることになるのではないか。「だれ」の承諾でいいのか、概念が不明確なのである。
 繰り返すが、「遺族」も「家族」も法律用語ではなく、定義があいまいで、決められないのだ。しかも多くの人がいるなかで、いったい「だれ」の承諾で、臓器を取り出すのか。
 また、いままでの法律は、「臓器提供の場合に限り脳死を人の死とする」と一般に考えることを前提にしてきた。しかし、わずか八時間の委員会の審議で成立したA案は、「脳死は一律に人の死」という考え方により適合的である。
 臓器移植については、移植を受ける側の子どもたちと、たとえば「脳死」になっている子どもたちのそれぞれの親からよく話を聞く。それぞれ切実な思いをかかえている。
 時々、私の眼に、「脳死」とされても身長が伸びつづけ、爪が伸びつづけ、体温をもち、「生きつづけている」子どもたちの姿が浮かぶ。子どもたちには、「脳死」とされても生きつづけ、成長しつづけている例が多い。これは、「死体」であるとはやはりとても言えない。
 医者たちからは、人工臓器やいろんな医療の工夫はもっともっとされるべきだという話を聞く。
 もらういのち、生きるいのち。
 私の知り合いで、息子さんに肝臓の一部をもらい、元気になった人がいる。息子さんの承諾によってもらい、息子さんも彼も元気だ。よかった。
 しかし、「脳死」については、慎重に、慎重に判断すべきであり、「脳死」を一律にすべて「死」とすべきではないし、やはり「本人の承諾」が必要だと強く思う。他の人間が、その人にかわって承諾することなどできない。その人の「いのち」は、その人こそが決めるべきである。拙速にならないよう、とことん審議を尽くしていくべきである。
 すべての人のいのちが大事にされる社会をつくらなければならないと考える。




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