福島みずほの人権いろいろ


月刊誌『部落解放』好評連載中コラムを福島みずほさんのご了解を得て、転載いたします。

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刑死者慰霊塔
〈『部落解放』2011年1月号〉

 

 先日、日本弁護士連合会と富久町中町会共催の「刑死者の慰霊祭」が開催され、出席した。これは、新宿区富久町の余丁町児童遊園地内に設置された「刑死者慰霊塔」前で行われたものである。
 新宿区の遊園地内に、このような碑が建てられていることも、毎年、毎年、町内会と日弁連がこのような慰霊祭を行っていることも、それまで実はあまり知らなかった。
 この碑は、一九六四(昭和三九)年に日本弁護士連合会によって建てられたものである。なぜ日弁連がこのような碑を建てたかというと、大逆事件の再審請求事件を担当された森長英三郎弁護士の薦めで、当時の円山田作会長が中心となって建てたそうである。
 一九一一(明治四四)年に、明治天皇暗殺を企てたとされる大逆事件で、幸徳秋水、菅野すがたち一二人が、ここで処刑されている。大逆事件については、一九六一年に坂本清馬さんが刑死した森近運平さんの妹と共同で東京高裁に再審請求をしている。合計一〇八点の新証拠が提出され、大内兵衛、我妻栄、宮沢俊義、大河内一男、南原繁といった人たちが、再審開始を求める意見書を裁判所に提出しているほどである。しかし、一九六五年一二月には東京高裁の、一九六七年には最高裁の大法廷の、再審請求を認めない決定が出た。もしこのときに再審が開始されていたら、歴史の事実が明らかになり、えん罪をはらすこともできたのにと、かえすがえすも残念である。
 この碑は、大逆事件の再審請求中に建てられた。刑死した者を偲び、慰霊するために建てられたといえるだろう。  ところで、この碑は「刑死者慰霊塔」となっている。大逆事件で刑死した人たちだけの慰霊ではないのである。えん罪で処刑された人たちだけの慰霊でもないのである。市ヶ谷監獄ができてから一九一五(大正四)年に廃止になるまでの間に、この刑場で約二九〇人の人が処刑されている。この碑は、刑死したすべての人を慰霊するものだと思う。
 その小さな公園に立って碑を見ていると、ここで、二九〇人、しかも幸徳秋水をはじめ大逆事件の被告人の人たちが処刑されたのかと感慨にふけってくる。
 そして、その慰霊式のあと、町内会の人たちと日弁連の人たちで小さな会食会をした。町内会の人たちが作ってくれたお総菜などを食べながら歓談する。この町内会の人たちは、この碑ができた一九六四年からずっとこの慰霊式をやってくれているのである。そのことにも感動をした。「刑死者慰霊塔」の話になって、私が「死刑になったすべての人の霊を慰めるのですね。えん罪の被害者だけではなくて」と言うと、話をしていた高齢の男性が「死ねばみんな仏になりますから」と言ってくれた。やはりこの碑が、大逆事件で刑死した一二人だけではなく、刑死者すべてを慰霊していることが大事ではないだろうか。こんな碑があり、毎年、慰霊祭が開催されていることを多くの人に知ってもらいたいと思う。
 二〇一〇年はちょうど大逆事件から一〇〇年の節目の年。知り合いのアイドル評論家・中森明夫さんが、「今こそ自由を」と『アナーキー・イン・ザ・JP』(新潮社刊)という本を書いた。自由人・大杉栄が、現代に生きる一七歳の少年に乗り移るというパンクな小説。私は、この本をもとに、本屋さんで中森明夫さんと対談することになったので、田中伸尚さんの『大逆事件』や鎌田慧さんの『自由への疾走』『大杉榮語録』など、たくさんの本を読んだ。
 瀬戸内寂聴さんの『美は乱調にあり』を読んだのは大学生のとき。あらためて今回、本を読んで、大杉栄さんをはじめ一〇〇年前の人たちのダイナミックな動きや精神、社会のなかでの運動、へこたれない精神、ユーモア、たくましさなどに感銘を受けた。中森明夫さんは、『蟹工船』、そして龍馬ブームの次にくるのは、「僕は精神が好きだ!」と高らかに自由を謳う大杉栄さんだと言う。時代の閉塞感を打ち破るパワーをもらい、もっと時代をダイナミックに変えていきたいものだ。そして、大逆事件、刑死者慰霊、死刑廃止も大きく広げたい。




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