福島みずほの人権いろいろ


月刊誌『部落解放』好評連載中コラムを福島みずほさんのご了解を得て、転載いたします。

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憲法もどきの自民党改憲草案
〈『部落解放』2013年6月号〉

 

 自民党が二〇一二年四月二七日に発表した「日本国憲法改正草案」は、憲法ではなく、憲法もどきのものであると思う。しかも内容がすさまじい。日本国憲法には、国民の憲法尊重擁護義務はないが、自民党の草案には、「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」とある。国民に憲法尊重擁護義務が課されている。
 憲法は、一二一五年、イングランドでジョン王に対し、貴族たちが勝手に課税するななどと突き付けたマグナカルタに端を発している。国家権力を縛って、基本的人権を守るというところが基本の基本である。だから、日本国憲法に、国民の憲法尊重擁護義務がないのである。憲法を守れと言われているのは、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員」である。国務大臣や国会議員などは、憲法を守り、表現の自由、幸福追求権、思想・良心の自由などを侵害せず、戦争はするなとしているのである。
 国民が権力を縛る。権力者たちが、政府がいくら戦争をしたくてもできないのは憲法九条があるからである。これが、憲法である。
 しかし、自民党の改憲案は、政府が国民を縛るもの。冒頭、私が、自民党改憲案は、憲法ではなく憲法もどきと書いたのは、それが理由である。
 自民党改憲案は、国防義務、日の丸・君が代尊重義務、公益及び公の秩序服従義務、家族助け合い義務、環境保全義務、地方自治分担義務、緊急事態指示服従義務などを規定し、こんなにたくさんの義務を国民に課す憲法を尊重せよとしている。
 国旗・国歌法制定のときに、「強制はしない」と自民党は言っていたが、強制、そして学校の先生への処分が広がった。憲法に、日の丸・君が代尊重義務が書かれたら、強制はさらに広がるだろう。
 国民が国家を縛るものから、国家が国民を縛るものへ。アベコベである。そのアベコベの極みが基本的人権の制限である。自民党改憲案は、一二条で、国民は、「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」としている。公益と何か。公益とは、国益のことか。だれが判断するのか。原発推進も、沖縄県辺野古沖に米軍の海上基地を造ることも公益か。それに反対することは、公益に反することになりはしないか。そもそも公の秩序とは何か。治安維持法の考え方とどこが違うのか。
 前にも書いたが、自民党改憲草案は、一三条で次のように規定する。「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない」。基本的人権は、公益及び公の秩序で制限されるのである。ここでも言いたい。公益とは何か。公の秩序とは何か。法律で「公益及び公の秩序」を理由にいくらでも基本的人権を制限できるのである。公益も公の秩序も非常に漠然としている。恣意的にだって使うことができる。これでは基本的人権はいくらでも制限できる。こんな自民党憲法は、国際人権規約違反ではないか。
 自民党改憲案は、二一条で、「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」とする。ここでも出てくる「公益及び公の秩序」。結社の自由を認めないとするが、公益及び公の秩序に反するというのは、どう判断するのか。結社の自由の明確な侵害だ。  基本的人権は、国会における多数決をもってしても奪えないものである。民主主義は多数決だが、多数決によっても少数者の人権は奪えない。しかし、自民党改憲案は、いくらでも法律によって基本的人権を制限できるのである。基本的人権は、最後にはなくなってしまう。
 自民党改憲案は、戦争ができる国にすることがねらいだが、基本的人権がいくらでも制限されてしまうことも大きな問題である。憲法改悪のための改正手続の緩和も許してはならない。




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