福島みずほの人権いろいろ


月刊誌『部落解放』好評連載中コラムを福島みずほさんのご了解を得て、転載いたします。

「参議院議員・弁護士 福島みずほのWebsite」はこちら



 

集団的自衛権へ解釈改憲
〈『部落解放』2014年3月号〉

 

 一八六回国会が始まったが、この国会が恐ろしい国会にならないように、いまから声を上げ、人々と力を合わせていきたい。
 何か。それは、安倍内閣が、集団的自衛権の行使を認めることである。日本国憲法のもとで、集団的自衛権の行使は認められない。他国の防衛のために戦争をすることは、日本国憲法のもとで認められない。歴代自民党政権もそう考え、そう言ってきたのである。
 政府は現在、集団的自衛権の行使に関し、「憲法九条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されない」(一九八一年五月二九日、政府答弁書)としている。
 去年の五月一四日、私は、参議院の予算委員会で、日本国憲法のもとで、集団的自衛権の行使は許されるかと聞いたところ、山本内閣法制局長官は、違憲であり、許されないと答えている。安倍総理は、この山本長官の首を切り、第一次安倍内閣で、安保法制懇のメンバーで、集団的自衛権の行使を認める小松大使を後任にすえた。
 今年の四月に、有識者会議「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)が報告書を出すといわれている。その報告書のなかで、集団的自衛権の行使を認め、閣議でそれを認めるのではないか。
 これはまさにナチスの手口である。
 ナチス・ドイツは、ワイマール憲法を改正せずに、国家授権法を作ることで、基本的人権を奪い、ワイマール憲法を無力化していった。安倍政権も、日本国憲法を明文改憲せずに、一回の閣議決定で、日本国憲法九条を無力化するのか。まさに、日本国憲法殺人事件である。日本国憲法は、日本人の三〇〇万人以上、アジアで二〇〇〇万人以上ともいわれる多くの犠牲の上に、獲得されたものである。そして、戦後の国会内外での長年の議論の積み重ねを通じて、今日にいたっている。集団的自衛権の行使はできない。それをなぜ一回の閣議決定で変えることができるのか。戦後日本の平和国家としての基本理念を根底から覆させてはならない。
 政府は、たとえば、二〇〇五年一一月四日、質問主意書の質問に対して、次のように述べている。
 「憲法第九条のように議論の積み重ねのあるものについては、全体の整合性を保つことにも留意して、論理的に確定されるべきものであり、政府による憲法の解釈は、このような考え方に基づき、それぞれ論理的な追求の結果として示されてきたものであって、諸情勢の変化とそれから生ずる新たな要請を考慮すべきことは当然であるとしても、なお、前記のような考え方を離れて政府が自由に憲法の解釈を変更することができるという性質のものではないと考えており、仮に、政府において、憲法解釈を便宜的、意図的に変更するようなことをするとすれば、政府の憲法解釈ひいては憲法規範そのものに対する国民の信頼が損なわれかねないと考えられるところである。」
 長い引用になったが、自民党政権も、法秩序を害し、そんな解釈改憲は認められないとしているのである。
 国会の答弁でも、一九八三年二月二二日、政府は、「仮に、全く仮に、集団的自衛権の行使を憲法上認めたいという考え方があり、それを明確にしたいということであれば、憲法改正という手段を当然とらざるを得ないと思います。したがって、そういう手段をとらない限りできないということになると思います」と述べている。
 集団的自衛権の行使を認めるということは、これらをぜんぶ覆すということである。安倍政権によるクーデターであり、いままでの自民党政権とはまったく違うのである。
 明文改憲がなかなかできないから、閣議で解釈改憲というのは、邪道である。正規の手続きをとらずに憲法改悪をするのに等しい。「手続き軽視」であり、法の支配の踏みにじり、議会制民主主義を無にするものである。解釈改憲なんて邪道を許してはならない。




「福島みずほの人権いろいろ」index


HOME


JINKEN BOOKは、(株)解放出版社が提供しています。 無断転載を禁じます 。
Copyright (C)Buraku Liberation Publishing House Co.,ltd 2001, All Rights Reserved


E-mail

(株)解放出版社
Phone:06-6581-8542(代表) Fax:06-6581-8552
東京営業所: Phone:03-5213-4771(営業) FAX:03-3230-1600