コラム・水平線

月刊誌『部落解放』の巻頭コラム「水平線」を著者のご了解を得て、転載いたします。

(2001/07/13up)


 

◆無関心と興味本位のあいだ
『部落解放』2001年7月号掲載〉

伏見憲明

 
 先日、部落解放同盟の支部の学習会に招かれたのだが、それに先だってスタッフの方が打ちあわせに上京された時の会話。
 「あのぉ、僕、部落差別のことなんて何にも知らないですけどぉ、そんなのが講演者でいいんですかぁ」「え…、伏見さんはどこにお住まいですか?」「埼玉の新興住宅地で育ったものですから、子どもの頃から同和問題を身近に知る機会がなかったんですよねー」「埼玉でしたら、狭山事件って知りませんか」「知りません」「………」「まあ、狭山事件っていう言葉くらいは聞いたことがありますけど」「うーん…」。
 そのスタッフの方は、僕がゲイ解放運動の発言者の一人だという程度の認識で会いに来られたので、僕の差別問題への意識が思いのほか低く、狭山事件すら知らないという無知に驚かれたようだった。そこにコーディネーターの角岡伸彦さんが割って入り、そのスタッフの方に聞いた。
 「○○さん、同性愛者の初めての裁判闘争である府中青年の家事件って知ってます?」「聞いたことない」「でしょ? そんなもんですよ」「そうなのか…」
 僕も身に覚えがあるのだが、被差別者として反差別運動などに関わっていると、この世の中が自分自身が抱えている問題を中心に回っているような錯覚に陥りやすい。しかし実際には、人は、他人の問題などにはほとんど関心を持たずに暮らしている。たとえ、高邁な精神でこの世の不正義と向かい合おうとしても、自分の生活圏を越えて他者の状況を知るには限界がある。どんな差別問題オタクでも、アフリカの少数民族の中のマイノリティ差別の実態などそうは知らない。
 被差別者の運動を志すものは、基本的に人は他人のことに無関心だ、という現実から出発する必要がある。自分自身もそれを超越した立場に立てないことを謙虚に認めるべきだ。つまり、多数派の少数派への無関心を一方的に責められないということ。
 そしてもう一方で、反差別運動の常套句に「興味本位の取り扱いはいけない」というものがある。被差別者に配慮を欠くメディア報道などを批判するときに使われる文句だが、これもやたらと乱発するのはいかがなものかと思う。興味本位というのは広辞苑によると「人が面白がるかどうかを第一とすること」という意味だが、いったい、他者に関心が向かうことにおいて、面白がるという動機をまったく否定することができるだろうか。人が他者に関心を持つ時は大抵、「面白そー」とか「ヘンなのー」などといった無邪気な好奇心が引きがねとなる。正義や反差別などの理念が動機づけになる人間はかえって例外的だ(僕など、興味本位でなければ誰かに関心を持つなどということはない!)。
 だとしたら、少数派の問題において興味本位をまったく排除してしまえば、多数派に無関心のままでいるか、当事者の「正義」に絶対帰依するかの踏み絵を踏ませることになりかねない。そして、そのことによって、差別問題は多数派の関心外に放置されることになってはいまいか。
 僕は、無関心と興味本位のあいだにいかに共感や理解を創り出していくのかが、これからの反差別運動の課題だと思う。そのためにはお笑いを戦略として用いることだってあるし、お涙ちょーだいだって演じるだろう。あるいは、相手の差別意識に乗った関心の引き方を利用することもあるかもしれない。ゲイの運動には「キャムプ」という手法があるが、それは、こちら側の笑いや自嘲的な表現の中に相手を引き込み、その面白さを通じて、いつのまにかそれ以前とは異なる感覚や認識を他者に植え込む戦略だ。
 他者との関わりの入り口をあまりにナイーブに設定しすぎると、共通の土俵を作ることさえできなくなってしまう。反差別運動を担う僕らは、無関心と興味本位のあいだに表現を紡ぐことでしか他者とつながれない、という事実を、今はっきりと自覚しなければならない。 (ふしみ・のりあき/評論家、『クィアジャパン』編集長)

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