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◆人道的観点からの放免を切に希望する◆
〈『部落解放』2002年03月号掲載〉
筒井志保
昨年の十二月二十一日、クリスマスを間近に控えた金曜日、四十二日間解放されていたアフガニスタン難民申請者五人が再び入国管理局(入管)に収容されてしまった。
「今日収容されるかわからないけれど、家族みたいにぼくたちの世話をしてくれたあなたたちにお礼が言いたくて」と、緊急な時にしか携帯に電話をしないよ、とほとんど掛けてくることのなかったMさんが、早朝、弁護士とともに入管へ出向く直前に連絡をくれた。Mさんが当協会(特定非営利活動法人難民支援協会)に相談に訪れたのは、十月三日に彼も含むアフガニスタン難民九人が一斉に収容される前のことだった。タリバンによって身柄を拘束された経験を持ち、家族も行方不明という彼の表情には故郷を逃れてきた苦悩が浮かんでいた。収容されてから一カ月後の十一月九日、東京地方裁判所の決定により九人のうち、Mさんを含む五人が自由の身となった解放当日、収容場で会った時には「(収容されていた時に)面会に来てくれて、またぼくたちを迎えに来てくれてありがとう」と、疲れきっていた表情ながら口にした。その日は小雨で雲が掛かっていたが、「太陽の光に当たるのは久しぶりだ。もう二度とあの部屋に戻りたくない」と手と顔を振るわせながら呟いていた。
母国・アフガニスタンの戦火が激化していく最中、難を逃れた国で突然収容されたことは、彼らにとって相当な衝撃であったようだ。解放の間、支援者側の指定した場所で、ほとんど面識のない五人が共同生活を開始したが、時に助け合い、言葉のハンディを補い合い、互いの痛みを癒し合っているように見受けられた。診察を行った精神科医からはATSD(急性心的外傷性ストレス症候群)であると診断された。「また捕らえられ、祖国に強制的に送還されるのだろうか」。この言葉を毎日のように繰り返していた彼らに、解放されていた四十二日間も安堵の日はあったのだろうか。難民キャンプでの医療経験もある医師が毎週、彼ら五人への往診を繰り返したが、「ストレスは自由を得た後も高まりが見受けられる」と、医療的観点から拘束は避けられるべきであると訴えていた。
ここ数年、入管は難民申請者については収容することなく、「仮放免」を通じて身柄の管理を行ってきた。これは、難民であれば拷問も含めた迫害の経験や家族との離散などによる肉体的・精神的な苦痛を配慮する必要がある、という国連(UNHCR)基準も踏まえ、人道的見地により収容しない措置を取ってきたと考えられる。では、なぜ今回のみアフガニスタン国籍の九人もの難民申請者を収容したのか。テロ容疑との関係や、近年の難民申請者数の増加に対する抑止行為などが取りあげられている中、入管は「特別な措置ではない」と主張している。そして高等裁判所は地裁決定を覆し、政府の姿勢を追認した。入管は高裁判決の次の日、再び収容するために彼らに出頭命令を出した。
現時点ではアフガニスタンに帰れないと主張しながらも、逃亡することなく五人は入管の出頭命令に応じて出向いた。身元保証人や身元引受人も付き添いながら、私たちの目の前で収容されてしまった彼らに対して、難民支援団体である私たちはなすすべもなく、その非力さを改めて痛感させられた。その後アフガニスタン弁護団によってアフガニスタンへの送還を差し止め、身柄の放免を求める請求がなされているが、一月十四日現在、九人の身柄は依然として収容施設の中に拘束されたままである。「母国・アフガニスタンが平和になれば帰りたい」と言っていた彼らを、帰還できるまでの間だけでも日本で平穏に過ごせるように解放してほしいと切望している。
(つつい・しほ/特定非営利活動法人難民支援協会事務局長)
難民支援協会 http://www.refugee.or.jp/
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