コラム・水平線

月刊誌『部落解放』の巻頭コラム「水平線」を著者のご了解を得て、転載いたします。

(2002/06/04up)




◆ポスト・コロニアリズムと日本人/沖縄人◆

〈『部落解放』2002年06月号掲載〉

野村浩也

  「植民地主義は終わらない」。これがポスト・コロニアリズムの重要な意味であるが、日本人がいまだに植民地主義をやめていないことは、沖縄への七五%もの在日米軍基地の強要に明らかに見てとれる。しかもこれは、日本の民主主義によって正当化されており、民主主義は日本国憲法によって保障されている。その意味で、民主主義と日本国憲法は植民地主義とけっして矛盾しない。
  「沖縄人にだけ米軍基地の負担を押しつけるのではなく全国民で平等に負担しよう」と真剣に主張し運動する日本人はほとんど皆無だ。それもそのはず、沖縄に米軍基地を集中させることは、沖縄人を犠牲にすることによって日本人が負担を免れる方法であり、まぎれもなく日本人の利益となる。したがって両者の関係をあたかも自然現象のように「温度差」などと表現するのは日本人に都合のよいだけの大嘘だ。現実は正反対の利害関係なのだ。沖縄人はいつも犠牲で日本人はいつも利益を得る。これこそまさに植民地主義的関係にほかならない。日本人にとってこんなにおいしい話はない。だから植民地主義はやめられない。そういうわけで保守派日本人は、沖縄人に対して正直に「我慢して基地を受け入れてくれ」と言う。なんともわかりやすい傲慢さ。
  わかりにくいのは、「進歩的」とか「良心的」とかいう日本人。よく「すべての日本国民は平等でなければならない」と言う。だったら米軍基地だって平等に負担しなければならないはずではないのか? よく「すべての在日米軍基地に反対だ。安保条約に反対だ」という声を耳にする。それを言ってる間も沖縄に基地が押しつけられつづけ半世紀以上もたってしまったし、それはこれからもつづくだろう。これまで押しつけつづけてきた責任をどうとるのか? そして未来永劫、我慢しろとでも言うのか? それに日本人は安保に賛成・反対に関係なく基地を負担しない特権を享受しているではないか? よく「沖縄と連帯しよう」とも言う。基地を日本にもって帰ってみんなで平等に負担するのが一番の連帯じゃないか、などと返したりすれば「連帯の敵!」と決めつけられたりする。「沖縄と連帯しよう」と言っておきながらどうして沖縄人を敵よばわりできるのか? そしてやはり、沖縄から日本への米軍基地移転に反対という意味のことばをよく聞く。そういう反対こそが沖縄に基地を押しつけつづける元凶ではないのか? よく「沖縄大好き」とも言う。そんなに沖縄が好きだったら米軍基地ぐらい日本にもって帰れるはずではないか? それとも基地がある沖縄が大好きなのか? 以上は沖縄人のひとりとしての素朴な疑問であるが、まともに答えることのできた日本人と出会ったためしがない。それどころか、これらの疑問に聞く耳すらもたない日本人の方が圧倒的多数である。その一方で、沖縄人自身が「沖縄の痛みをよそに移すのは心苦しい」とでも言えば日本人に非常に喜ばれる。日本人にとってこれほど都合のよいことばはないからだ。
  日本人は、右から左まですべて、在日米軍基地の負担を沖縄人に押しつけることによって得られる利益を共有しているのだ。この利益を守るためのもっとも悪質な植民地主義言説こそ沖縄から日本への米軍基地移転に反対するものではないか。すでに沖縄に基地を集中させ安保も廃棄しない日本人の現状では、それは沖縄に基地を押しつけつづけたいという意味にしかならないのだから。  最低限の人権のひとつ。それは平等というものである。したがって「在日米軍基地の平等な負担」というのも最低限の人権要求にすぎない。日本人がこの最低限の人権すら達成できないとすれば、日本人の植民地主義も終わるはずがない。 (のむら・こうや/広島修道大学助教授)

野村浩也HP http://sociology.r1.shudo-u.ac.jp/nomura/index.htm


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