コラム・水平線

月刊誌『部落解放』の巻頭コラム「水平線」を著者のご了解を得て、転載いたします。

(2003/01/23up)




◆ハンセン病国賠訴訟、勝訴から一年に思う◆

〈『部落解放』2002年08月号掲載〉

江田五月

 昨年五月十一日朝、私は参議院の本会議場で、携帯電話のメールを緊張して待っていました。熊本地裁で十時から、ハンセン病国家賠償訴訟の判決が言い渡されるのです。マナーモードにした携帯電話が、胸ポケットで震えました。メールを開くと、「ハンセン勝訴。国の責任、認める」次いで、「国会の立法不作為責任を認める」とも。本当に、体が震える思いがしました。
 それから数日、テレビも新聞も、この判決をめぐる報道で埋まりました。元患者の皆さんが、ブラウン管の中で、喜びに顔をくちゃくちゃにしながら話しています。ハンセン病は、完治していても末梢神経に後遺症が残りますから、顔がゆがんで見えるのは仕方ありません。しかしこの時には、彼らの顔を醜いと思った人はいなかったと確信します。それほど、彼らの想像を絶する苦しみと不屈の闘志と、これをしっかりと受けとめて勝利させた裁判所の判決が、人びとの心を打ったのです。
 前職が裁判官の私でも、ひとつの判決で、これほど国民の心を揺さぶったものを、これまで見たことがありません。この判決に、国は控訴をしてはいけない。これを確定させて、国民の感動をしっかりと定着させなければいけない。そしてその感動を、ハンセン病に対する偏見とあらゆる差別の根絶の原動力にしなければならない。今しかチャンスはない。本当にそう思いました。
 その夜から連日、原告や元患者の皆さん、弁護団の皆さんと共に、国会や内閣、各政党の皆さんのところを駆け回りました。国会は、らい予防法を放置した責任を問われたのですから、その国会の意思を無視して、政府が勝手に控訴してはいけません。国会も、自ら責任を認める決議をしましょう。控訴しない決断は、小泉さんにこそできる大英断です。そんなことを必死で訴えました。
 二十三日の夕方、首相官邸では、元患者の代表が小泉首相に会っていました。私たちは、東京・有楽町で、元患者や弁護士の皆さんと国会議員とが一緒に街頭から訴えました。マイクを握ったことなどなかった元患者らが、震えながら訴えました。私も、官邸の小泉首相の胸に届いて欲しいと、祈るような気持ちで控訴断念を訴えました。会談時間は十分と決められていました。二十分経っても三十分経っても、終わったという報告がありません。四十分で、やっと原告らが官邸から出てきました。しっかりした手応えを感じたようでした。そしてその夜、ついに控訴断念が決まりました。
 私が父に連れられて、初めて岡山県の長島にある国立ハンセン病療養所を訪ねたのは、五十年も前のことだったでしょうか。施設の中でさえ、患者に近寄ることがはばかられる時代なのに、父は白衣も拒否して、患者の皆さんと交流していました。私は、そんな父の後を引き継ぎ、ハンセン病のことは私のライフワークになりました。そして昨年初め、超党派の「ハンセン病問題の最終解決を進める国会議員懇談会」の会長に推されました。国家賠償訴訟の側面支援も視野に入れた会です。
 あれから一年。今年の五月二十三日、訴訟勝利一周年記念行事の一環として、合同追悼式が行われました。三千以上の命が、胎内で、あるいは生まれた直後に、名前もないまま絶たれました。今なお小さな骨壷に入ったまま、ふるさとに帰れない遺骨も何万とあります。指名献花で私は、元患者の皆さんたちに続いて、厚生労働大臣や法務大臣よりも先に名前を呼ばれました。私たちの活動を、関係者の皆さんがこれほど喜び、評価してくれたことは、政治家として大変嬉しいことです。これからも、このようなことを最高の名誉と考える政治家でありたいと思っています。 (えだ・さつき/参議院議員・民主党法務ネクスト大臣)


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