コラム・水平線

月刊誌『部落解放』の巻頭コラム「水平線」を著者のご了解を得て、転載いたします。

(2003/01/23up)




◆エミシのリーダー アテルイ、モレの千二百年忌◆

〈『部落解放』2002年11月号掲載〉

笹川新一

 今年、二〇〇二年は東北の先住民「エミシ」の二人のリーダー、アテルイとモレが大和王権国家によって斬首されてちょうど千二百年にあたります。今年は地元岩手県をはじめ、供養やアテルイの映画製作、記念事業その他が行われています。
 現在の東北地方は元々、大和王権国家から「蝦夷」と呼ばれた人びとが独自の文化を持ち生活を営んできた地域です。千数百年前から大和王権国家によるたび重なる武力侵攻により、地域社会は根底から揺るがされ、各地のエミシもしばしば戦いました。そのような時代、八世紀末から九世紀初めに、今の岩手県内を流れる北上川流域のエミシが連合してエミシにとっても大和にとっても大規模な戦いが繰り広げられました。そのエミシ部族連合で指揮をとったリーダーがアテルイとモレという二人です。二人の名前は『続日本紀』や『日本紀略』に「阿弖流為」「母禮」として出てきます。
 アテルイ、モレ率いる部族連合は、大和の軍勢と四度にわたって戦いました。三度目まではゲリラ戦で応戦していたのですが、坂上田村麻呂という将軍にかわって戦局が悪化し、四度目の戦闘の後、アテルイ、モレとも降伏または和睦に応じるために坂上田村麻呂らとともに京に赴きます。「生かしてエミシの『帰順』を」と田村麻呂は主張しますが、京は二人の処刑を決定。アテルイ、モレは河内国椙山(大阪府枚方市片埜)にて斬首されました。それが八〇二年夏のことです。以後、北上川中流域(少なくとも現在の盛岡市辺りまで)は大和王権の領域に組み込まれました。エミシは北へ逃げ、また西南のあちこちの「ゲットー」に強制移住されて同化政策・差別と厳しい監視下におかれました。
 今年の夏、アテルイのいたとされる村(巣伏村/現在の岩手県水沢市跡呂井地区)と枚方市片埜のエミシ塚(首塚とも言われる)、盛岡市内の「鬼の手形」のある三石神社を訪れ、黙祷と片埜エミシ塚では献花しました。「供養」について自問していますが、儀式的な供養もさることながら、今生きているわたしたちの意識のあり方を問うことも重要ではないかと思います。また、「今年が終わりであり、また始まりでもあるのだ」とも思っています。わたしは、おそらくエミシの系譜を引き継いでいるがゆえのある種の蠢く感情・意識を持っています。ただ、それは単なる妄想と思っていました。しかし同郷の方と対話をしたり同郷の方々の著書や論文またインターネット上での発言などを読んだりすると、ご本人が自覚されているかどうかわかりませんが、雰囲気・行間から見える語り手の意識に共感できる部分があります。また、この意識は「あること」を志向しているように感じられます。それは自分の祖先・系譜とのつながりをきちんと持ち、地に足をつけていくこと。菊池勇夫さんが「東北人とエミシ・エゾ」(『東北学』vol.1)にて「エミシ・エゾ的古層ないし基層が再発見され、さまざまな継承や影響が発見されていくならば、地域社会におけるエミシ・エゾの復権につながっていくだろう(中略)東北人はもはやエミシ的過去を他人事のように突き放して振舞う必要などなくなるのである」と述べています。自らの祖先の声に耳を傾けて真の歴史と継承を確認しつながりをもつ、これが儀式以上に供養ということで最も大切なことと思われます。 (ささかわ・しんいち/エミシ歴史文化研究会)


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