コラム・水平線

月刊誌『部落解放』の巻頭コラム「水平線」を著者のご了解を得て、転載いたします。

(2003/01/23up)




◆お互いを見つめなおす契機となるよう◆

〈『部落解放』2003年1月号掲載〉

金時鐘

 案じていたことがあからさまになってきた。メディア総動員の際限もない「拉致」報道。それによってあおられている反共和国感情、だけならまだしも、狭隘な民族主義をかきたてて“朝鮮”とおぼしきものにまであらがいやいやがらせを募らせる。中国嫌いをもって鳴る石原慎太郎東京都知事に至っては、先日(十一月十日)の民放テレビの報道番組でついに、「(北共和国と)堂々と戦争したっていい!」とブッシュ気取りで息巻く始末だ。
 このような男が日本の首都の知事であることは今更ながらの驚きであるが、自国の憲法をこのようにも度外視してやまない男を選んだのが、過半数以上の東京都民であることを思い合わすとき、拉致問題になだれている国民感情の高まりには実感をもって徒ならぬ気配を感じずにはいられない。「国賊」や「売国奴」といったののしりも頻々と聞こえてきている。
 その多くが、いまだ清算されない日本の過去について批判的な意見をもつ人士に向けて発せられており、「愛国心を教育目標に」という中央教育審議会からの中間報告も、ころ合いを見計らったかのように教育基本法改正の要項として提出されてきている。法で規制を図る愛国心などつまるところ偏った国家主義の押しつけであり、国際的な道義をわきまえない愛国心がいかようなものであったかは、戦前の日本を顧みるまでもないことである。それはそのまま「われわれ式の社会主義」を押し立てて、国家の絶対的な権威を金正日総書記ひとりが欲しいままにしている北共和国の、つくられた愛国主義とも背中が合わさったように近しいものだ。
 拉致悲劇の救済へ向けて結束を固めている「家族連絡会」や「救う会」の、やむにやまれぬ闘いとはうらはらに、そのメンバーの中には強制連行とか従軍慰安婦問題にみるようなかつての日本の罪過を認めないだけでなく、中国侵略時の人にあるまじき南京大虐殺、人間を実験材料に生体実験を繰り返した細菌戦部隊の、人道に悖る戦犯行為をも論外に付してきている人たちもいる。加えて「拉致議連」(北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟)会長の中川代議士は、石原慎太郎氏と同じく、「新しい歴史教科書をつくる会」の「歴史教科書」に肩入れしている有力議員であり、小泉首相の靖国神社参拝をあと押しする「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の能動的なひとりである。この人たちが「救う会」を盛り立てて、拉致問題を北共和国との対立に押し上げ、メディアがそれに倣って国民の反発を“反朝鮮”へとあおっている。
 もちろん無辜の人たちを、それも隣国の市民を拉っていった北共和国の非道な国家犯罪は糾弾して余りあるものがあり、その国が同じ同族の国であることに私は人前に出るのもはばかられるほど、恥ずかしい思いでいっぱいである。それだけに失望も深い。植民地統治の強いられた被虐の正当性も、これで吹っ飛んだ気にすらなったものだった。それほどにもおぞましい愚行を、北共和国は人権意識が行き渡っている今の時代に仕出かしたのだ。
 弁解の余地はない。強制連行、従軍慰安婦問題に代表されるようなかつての日本の罪過は、朝鮮民族が不可抗力的に蒙った民族受難であり、日本の市民を拉致したことは北共和国という、特定の国が仕出かした国家犯罪である。対置すること自体が、冒してはならない民族受難をおとしめることであることを知らねばならない。それと同じように拉致家族の悲劇だけが悲嘆と憤りのすべてであるような日本人もまた、自らの品性と品格が世界的に問われていることを知らねばならない。
 ことわるまでもなく「拉致」問題はたしかに、日本の国民感情をあららげている事件には違いない。が、現に国連人権委員会に再審査を申し立ててはいても国際的な共感はさして高まってこない。「家族の気持ちはよく分かるが、かつて朝鮮半島から大勢の人々が連行されて来たことがほとんど意識されていないことに驚いている」とは、『朝日新聞』十一月十九日付社説に引用された元駐韓米大使のグレッグ氏の弁だが、拉致事件が惹き起こしている日本人の心情の背景を、いみじくもよく衝いている。
 北共和国の国家犯罪と、民族受難を明確に分別している私でさえ、拉致家族の悲嘆を目の当たりにしてはこらえようもなくこみあがってならなかった。それは自動的に強制連行の悲嘆や従軍慰安婦の嘆きがおおいかぶさってきたからだ。けっして量や数で測れることではないが、それでも私たち朝鮮人は日本の拉致家族の何千倍もの悲嘆を歴史的にとどこおらせている。そのことにどれだけの日本人が思い致すのか、を考えると目はなおのこと曇ってくるのだった。
 北共和国にも無辜の民が二千数百万からいる。飢えて電灯もない暮らしを耐えている人たちに、朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)からは重油の打ち切りまで報じられている。この窮地を小気味よく思っている人たちがいるとしたら、それこそ人間性を疑われる人たちだ。とにもかくにも関係正常化は果たされねばならない。その対象に北共和国があり、その国を統べる金正日がいる。願わくば拉致の悲劇が、お互いを見つめなおす契機となるよう、祈りのように願ってやまない。( キム・シジョン/詩人 )


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