コラム・水平線

月刊誌『部落解放』の巻頭コラム「水平線」を著者のご了解を得て、転載いたします。

(2003/01/23up)




◆外出禁止令下で生きるパレスチナ人◆

〈『部落解放』2003年2月号掲載〉

清末愛砂

 百二十日以上にもわたる外出禁止令が強制される。三ケ月以上、ナブロスという大きな檻の中で自宅軟禁されるということなのだ。昨年の七月から十一月までの四ケ月間にわたって、国際連帯運動ナブロス支部のコーディネーターをしているときに、外出禁止令が何日、解かれただろう。二週間程度だろうか。二週間といっても、一日、わずか数時間のみ外出禁止令が解かれただけという日も多く、丸一日解かれるという日はなかった。朝の六時から夕方六時までの十二時間のみ得られるわずかな自由だった(数時間の日もあった)。夕方六時になって外出禁止令が始まると、イスラエル軍の戦車がナブロスや私が暮らしてきたバラタ難民キャンプ(ナブロス近郊)に“待ってました”とばかりに戻ってくる。しかも、戦車に搭載されたマシンガンで何千発と乱射しながら、パレスチナ人を威嚇するのだ。外出禁止令下では、毎日のように、何十台、あるいは何百台という戦車がナブロスを走り回る。何度、戦車砲やマシンガンによる銃声を聞いただろう。いや、聞かない日などほとんどなかった。銃声が鳴り響き、戦車が走り回る街。それが私の中に今でもこびりついているナブロスとバラタ難民キャンプの姿である。
 パレスチナ人の移動の自由を完全に奪っているイスラエル軍の検問所は、西岸地区、ガザ回廊に無数に存在している。前日までなかったはずの検問所が翌朝突然、設置されていることもある。外出禁止令が発令されているナブロスの住民は、この検問所を越え、たとえば、隣町に住む親戚、友人の家にさえ出かけることが許されない。国際連帯運動は、非暴力直接行動という手段を用いることによって、パレスチナにおけるイスラエル軍の占領の終結を目指すための、さまざまな活動を展開してきた。上記の検問所に対しても、監視活動をしつつ、イスラエル兵と交渉し、病人や幼子を持つ母親などが検問所を通ることができるようにする活動や、戦車が登下校中のパレスチナの子どもたちに対して威嚇射撃や水平撃ちをしてきた際に、戦車の前に立ち、「人間の盾」を作って、戦車の動きを物理的に止める活動。明らかに第四ジュネーブ条約によって禁止されている「集団懲罰」である、自爆攻撃者を出した家族に対する家屋破壊に反対し、破壊されるおそれのある家々で寝食をともにしながら、イスラエル軍の襲撃に備えるなどの活動を行っている。私が、西岸地区最大のバラタ難民キャンプのある一家の家に泊まりこんだのも、イスラエル軍の襲撃に備えてのことだった。
  パレスチナというと、「自爆テロ」という言葉で語られることが多い。しかし、私がナブロスで目撃したものは、ひたすら最新式の兵器でもってパレスチナ人を威嚇し、虐殺するイスラエル軍の姿だった。その厳しい状況の中で、パレスチナ人はひたすら生き延びるための手段をなんとしても探し出している。外出禁止令下で操業が許されていないタクシー運転手は、戦車やジープがいない場所を見つけ出し、裏道をさがして客を乗せていく。近郊の村から山道を越え、イスラエル軍に見つかり、逮捕されることを覚悟で、ヨーグルトや無花果を売りに出かける。子どもたちは、戦車が走っていようとも、登校しようとする。撃たれることを覚悟で。子どもたちなりの抵抗なのだ。戦車砲で撃っているイスラエル軍の前を通り、学校に向かうという行為、これほど、力強い抵抗を見たことがあるだろうか。ナブロスのパレスチナ人は、自分たちの生命と尊厳をかけて、あらゆる方法を用いて、日々生き抜こうとする。これを抵抗といわずなんと表現できるのだろうか。私は、その姿に何度も心を打たれ、涙がこぼれ落ちた。そんな姿を見続けた四ケ月間だった。(きよすえ・あいさ/国際連帯運動ナブロス支部コーディネーター・大阪大学大学院博士後期課程)

 国際連帯運動(ISM) The International Solidarity Movement  http://www.palsolidarity.org/


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