コラム・水平線

月刊誌『部落解放』の巻頭コラム「水平線」を著者のご了解を得て、転載いたします。

(2005/07/05up)




◆ チェチェンでなにが起きているか
――学校人質事件の背景 ◆


〈『部落解放』2005年3月号掲載〉

大富 亮

 
 日本から、地球を半周した向こうにある北コーカサス地方。そこにチェチェン共和国がある。人口わずか百万人の、温暖で小さな山国だ。帝政ロシア以降、三百年以上にわたってロシアが版図に組み入れてきた植民地のひとつでもある。
 昨年、世界を震撼させたベスラン学校占拠人質事件は、このチェチェンの西隣にある、北オセチア共和国で発生し、「チェチェンからのロシア軍の撤退」がゲリラたちの要求として掲げられた。三日目にロシア軍が混乱のなか強行突入し、三百人におよぶ人々の死によって、事件は終結した。ゲリラのほぼ全員が死亡したために、事件の真相究明も困難をきわめることだろう。
 この事件の背後にあるものは、一九九四年から十年間続いているチェチェン戦争だ。最近は日本でもこの問題についての関心が高まり、ようやく隠された戦争の内幕が知られつつある。
 九一年に独立を宣言したチェチェン共和国に、ロシア軍が本格的な侵攻を開始したのが、九四年のことだった。ここに、抵抗するチェチェン独立派とロシア軍の軍事衝突が始まり、エリツィンの再選をかけた九六年夏の大統領選挙の時期まで、一年半におよぶ戦争が続くことになる。このとき、ろくに訓練されないまま戦場に投入された新兵に大きな被害が出たことから、ロシア世論には厭戦気分が強くなった。エリツィンはみずから始めた戦争の幕引きのために、対立候補だったレベジ退役将軍をひきぬいてチェチェン独立派との交渉にあたらせ、かろうじて再選される。
 第一次戦争後、病身のエリツィン大統領が次々に首相を解任するなど、混乱をきわめたロシア政界に現れたのが、旧KGB(国家保安委員会)中佐、ウラジーミル・プーチンである。プーチンが首相に任命された九九年の八月、突然、チェチェンの野戦司令官バサーエフが隣国ダゲスタンに侵攻し、モスクワなどではアパート連続爆破事件が発生した。プーチンはこれを理由にチェチェンへの侵攻を再開し、第二次チェチェン戦争が始まった。アパート連続爆破事件の真相はいまだに不明で、ロシア検察庁は、なんら成果を出さずに二〇〇三年に捜査を打ち切っている。
 都市への空爆、砲撃、避難民の車列をめがけた爆撃……この十年の間に、すでに二十万人を超えるチェチェン人が死亡しているとされる。
 エリツィンが、まったく無名のプーチンを起用した理由は、九九年末のエリツィンの辞任で明らかになった。辞任とともに大統領代行となったプーチンの最初の大統領令は、大統領が訴追されうるあらゆる犯罪(九三年十月の議会ビル砲撃、「クレムリンゲート」と呼ばれる汚職疑惑など)の刑事責任の免責と、多額の恩給などを定めている。この大統領令を滞りなく実行するためには、治安・情報機関の人間が権力を握る必要があった。
 そうして、プーチン大統領の時代がはじまった。チェチェン独立派の大統領アスラン・マスハドフは、繰り返しロシア側に対して交渉を申し入れているが、ロシア側は逆にチェチェンに親ロシア派の傀儡政権を設置して交渉を拒否している。
 ロシア国内では「シロビキ」と呼ばれる各種治安機関の勢力が政治の実権を握ったが、それとは裏腹に、次々と発生するテロ事件は大規模化するいっぽう。〇二年のモスクワ劇場占拠事件には、チェチェン人の占拠グループの中に、ロシア特務機関のメンバーが交じっている始末だった。北オセチアで私たちが見た事件は、こうした文脈の中で起こっている。
 事件の後、プーチン大統領は議会の小選挙区制を廃止し、連邦の八十九の地方自治体の首長を、大統領の任命制に転換する方針を明らかにした。これによって、チェチェン人はもとより、連邦内に多数存在する少数民族の主張の場がさらに狭まることが懸念されている。
 チェチェン独立の主張も含め、力によって少数者の意見を排除する体制は、不可避にテロリズムを育てる。日本を含む西側諸国がこうしたロシアの政策を支持し、みずからも「対テロ戦争」にのめりこんでいく今日、チェチェンでは百万の市民が「人質」でありつづけている。 (おおとみ・あきら/チェチェンニュース発行人) 


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