コラム・水平線

月刊誌『部落解放』の巻頭コラム「水平線」を著者のご了解を得て、転載いたします。

(2006/01/10up)




◆ 「反戦」とエンターテインメント ◆

〈『部落解放』2006年1月号掲載〉

表 智之

 今夏、ドイツはライプツィヒでマンガ研究の国際シンポジウムに参加した折、ヨーロッパの研究者たちと「はだしのゲン」(中沢啓治)について話す機会を得た。
 「ゲン」は日本では平和教育の一環として学級文庫や学校図書館によく収蔵されているが、そういった状況は彼らには奇妙に感じるらしい。戦争と原爆の悲惨さを伝える優れた作品ではあるが、子どもに読ませるには描写が残酷に過ぎると彼らは言う。欧米では、マンガに限らずメディア表現全般が子ども向けと大人向けに厳格に区分されており、性や暴力に関する描写が子どもの目に触れないよう注意深く管理されている。教育目的とはいえ、焼けただれ変わり果てた人々がさまよい歩く原爆投下直後の広島の情景を学校で子どもに見せるなど、あり得ないことなのだろう。
 行き過ぎたマンガ表現は日本でもしばしば問題になるが、「ゲン」がその俎上にのせられることはまずあり得ない。だがマンガ研究の見地からは、「ゲン」が当初、『週刊少年ジャンプ』の連載作品(一九七三−七四年)であったことを重く受けとめるべきだとの指摘がすでにある。当時の「少年誌」はその名に反して大学生など青年層の読者を多く抱え、各誌は性や暴力の表現を競うように激しくしていった。むごたらしい表現が誌面にあふれ、むしろそれが売りになる状況の一翼を「ゲン」は支えていたのではないか。
 作者・中沢の意図が原爆の悲惨さを訴えることにあることは言うまでもない。掲載時の惹句や編集後記からみて、編集サイドもその意図は共有していたろう。「ゲン」に先立って中沢が少年誌で初めて原爆を扱った作品「ある日突然に」(『週刊少年ジャンプ』一九七〇年17号)などは、その号が三百ページある中の実に八十ページを割いての特別掲載であった。編集部の意気込みのほどがうかがえる。だが、読者に伝わるのはそういった情熱やメッセージだけであったかどうか。
 ベトナム反戦運動が盛り上がりを見せるなか、一九七〇年前後のマンガ雑誌には反戦をテーマとした作品が増えていた。日本駐留米軍の細菌兵器開発をめぐる謀略を描いた「光る風」(山上たつひこ/『週刊少年マガジン』一九七〇年18―47号)などが代表例の一つだが、そういった反戦作品には当然ながら凄惨な暴力が多く描かれている。戦争の残虐性を明らかにする上で有効な手段であるとはいえ、「劇画」や『ガロ』『COM』など実験的なマンガが蓄積してきた表現技法を駆使しての様々な残酷表現は、それ自体がスペクタクルとしての魅力を十分に備えている。また、これもライプツィヒで話題になったが、当時の『ジャンプ』では「ゲン」のページの隣に模型戦闘機の広告が掲載されていることもままあった。反戦マンガと好戦的娯楽の奇妙な同居にヨーロッパの研究者たちは驚いていたが、そのように戦争の快楽と痛みをないまぜにしながら展開される点がマンガを含む戦後日本の少年文化の大きな特徴なのだ。反戦のテーマが残虐マンガの方便になっているというような単純な事態ではない。いわば「反戦というエンターテインメント」がそこに成立していると言えるだろう。
 これはいい悪いの問題ではなく、ポップカルチャーであるマンガの宿命と言うべきだと私は考えている。マンガが作家の表現衝動や編集者の信念を貫きつつ商業的要請を満たすものである限り、この種のアンビバレンスは常につきまとうし、何が主で何が従かもいちがいには言えない。まるでホラーマンガを読むように「ゲン」に接していた少年期の体験が、戦争や核兵器に対する怒りとして成人後に発現することもままあろうからだ。  戦後マンガ史の流れをどのように受けて「ゲン」が登場してくるのか、それは読者にどう読まれ、成人後の読者にどう影響を与えているのか……社会学や教育学の研究者と共同での研究論集を来年刊行する予定であるが、もしお目にとまれば幸いである。 (おもて・ともゆき/京都精華大学) 


コラム・水平線INDEXに戻る



HOME

JINKEN BOOKは、(株)解放出版社が提供しています。 無断転載を禁じます 。
Copyright (C)Buraku Liberation Publishing House Co.,ltd 2001, All Rights Reserved


E-mail

(株)解放出版社
Phone:06-6581-8542(代表) Fax:06-6581-8552
東京営業所: Phone:03-5213-4771(営業) FAX:03-3230-1600