コラム・水平線

月刊誌『部落解放』の巻頭コラム「水平線」を著者のご了解を得て、転載いたします。

(2006/06/23up)




◆ わかりやすさの本質――一『ステージ』の取り組みから ◆

〈『部落解放』2006年6月号掲載〉

野沢和弘

 眼鏡やコンタクトレンズがなかった時代、近眼の人はさぞ不便な暮らしをしていたに違いない。今は目が見えない人のための音声対応のパソコンが開発され、視覚障害者の情報環境は格段によくなった。
 どんなに距離が離れていてもリアルタイムで情報のやりとりができるようになったのは電話のお陰である。手紙や電報しかなかった時代は、「距離」はコミュニケーションにとって最大の障壁だった。しかし、電話は一般の人の情報環境を革命的に変えた一方で、耳の聞こえない人を情報環境の便利さから排除することになった。その意味では、大量の文字情報を距離が離れた相手に即時に届けることができるインターネットやEメールの登場は聴覚障害者の暮らしを劇的に変える可能性を秘めている。
 知的障害者や自閉症などの発達障害者にとっても情報が極めて重要な点はほかの障害者と同じだが、彼らの情報環境というものはほとんど注目されてこなかったと言っても過言ではない。知的障害者はたしかに抽象概念や論理的思考が苦手ではあるが、はじめから情報を必要としている存在として認知されず、日常生活に必要な情報からも遠ざけられていた。
 全日本手をつなぐ育成会(会員約三十万人)が発行する知的障害者のための新聞『ステージ』は、知的障害者が企画立案から記事の取材や執筆まで関わって作成している。政治、経済、事件から科学記事まで毎日新聞の現役記者が担当し、難解な記事を小学三年生が理解できるレベルの平易な文章に加工している。一九九六年に創刊されちょうど十年。執筆に協力した記者は延べ百人を超えた。
 読者は知的にハンディのある障害者だが、社会の中で暮らしているれっきとした大人であり、政治や環境問題から恋愛や結婚にも関心のある人たちだ。新聞記事は義務教育を卒業した人ならば誰でも理解できるような平易さをモットーとしているが、実はかなり難解である。ステージの編集会議では、プロの記者が書いた記事に知的障害者が赤ペンを入れる。「何を書いているのかわからない」「難しい」と彼らは遠慮なく苦言を呈する。ふだん社説を書いている論説委員やデスクが冷や汗を浮かべて書き直すこともしばしばである。
 わかりやすさの法則としては、@できるだけ短い文章で、A比喩や暗喩は禁止、B慣用句やことわざも禁止、C〜しないわけではない、というような二重否定はやめる、D主語は省かない、E時制をさかのぼらない――などではある。しかし、これらを守れば文章はわかりやすくなるのかと言えば必ずしもそうではない。
 十年間、いろいろなタイプの知的障害者と一緒に新聞を作ってきて感じるのは、彼らは切なくなるぐらい本音を押し隠して生きていることである。何年も付き合っているうちに私に対してもズケズケ言ってくれるようになったように思えても、障害者として冷たい視線にさらされ、虐げられ、無視されてきた長年の経験が、デリケートな自尊心を心の奥底に隠して生きているのを感じることがある。
 私は新聞記者として、わかりやすい文章を追究して二十三年になるが、いまだに自分の文章がわかりやすいとは思えない。たしかにテクニックは必要だが、それだけでは「わかりやすさの神様」は微笑まない。
 言葉は、それぞれの知識と経験が肉体の中で醸成する海の中に浸って初めて意味を持つ。相手の背負っているものにまで思いをめぐらせ、どうしても伝えたいことを、自分自身がしっかり理解したうえで伝えようとした時に初めて、わかりやすさの神様は姿を見せるのである。(のざわ・かずひろ/毎日新聞社会部記者)  


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