コラム・水平線

月刊誌『部落解放』の巻頭コラム「水平線」を著者のご了解を得て、転載いたします。

(2008/4/22up)




◆ ネパールで考えた政治の大切さ

〈『部落解放』2008年4月号掲載〉

上川あや

 年明けの一月八日、ヒマラヤ山麓にあるアジア最貧国のひとつ、ネパールを訪ねた。訪問の目的は“LGBTI”と呼ばれる性的マイノリティの支援。欧米の政府機関、NGOなどの支援を受けて積極的な活動を続けている現地NGO〈Blue Diamond Society〉(以下、BDS)の要請を受けて現地を訪ねた。
 遠くネパールから、一地方議員の私に要請が来たのには理由がある。私自身、男性から女性に性を越境した当事者であり、二〇〇三年四月、「性同一性障害」を公表のうえ議員に当選して以来、公人を務めてきた背景があるのだ。
 ネパールに暮らす性的マイノリティの多くは、そのアイデンティティーゆえに学校を追われ、家族から締め出され、生きる術にセックスワーカーになることを強いられるケースも多いという。
 同じ性的マイノリティが声をあげ、市民がそれを支持して公職に就く――そんな私の体験が、現地の当事者にとっては驚きであり希望なのだ。
 “LGBTI”と言われてピンとこない人のために簡単に説明しておきたい。“LGBTI”とは多様な性のマイノリティを総括する表現である。Lは女性の同性愛者であるレズビアンを、Gは男性の同性愛者であるゲイを、Bは男女両方に惹かれるバイセクシュアルを、Tは私のように性を越境するトランスジェンダーを指す。Iは身体的な性別が男/女に明確に分けきれないインターセックスのことだ。
 ひとことで「性的マイノリティ」といってもその中身は実に多様なのだ。しかし重要な共通点もある。いずれも旧来の規範や「フツウ意識」から外れるために周囲から嘲りを受けたり、時には刑法や医療によって排斥され矯正を迫られてきた現実があるのだ。
 “LGBTI”や“LGBT”の表現が、差別解消を目指す当事者運動から広がってきた所以はここにある。
 日本でも昨今“性的少数者”や“LGBT”という言葉が聞かれるようになった。しかしその正確な意味を知る市民は今もごくわずかだろう。
 一般に、同性愛者の割合は人口の三%から一〇%にのぼると見られている。つまり親戚や同僚、クラスメイトにもいるはずの数である。
 ところが日本人の多くは「そんな人、私のまわりにいない」と思い込んでいる。「差別を恐れる人は黙り込む」。その現実に想像がおよばないのだ。
 日本の男性同性愛者、両性愛者の約半数が学校時代にいじめを受け、三分の二が自殺を考え、一四%は自殺未遂の経験をもつ――そんな統計もあるのだが、性的マイノリティの存在を「趣味的」と切り捨てる人はあとを絶たない。
 “先進国”とされる日本ですらこの状況である。悪名高いカースト差別の残るネパールの実態はどんなものだろう? 同じ性的マイノリティの一人として若干の不安を抱きつつ、私はカトマンズに降り立った。
 現地で驚いたことの第一は当事者活動の充実ぶりだった。カトマンズ市内にあるBDS本部は、四階建ての建物すべてが事務所であった。活動メンバーは約四〇〇人。二〇〇一年の設立から昨年末までにBDSにアクセスしてきた人は九万人に達しているという。
 BDSでは、性的マイノリティに罹患者の多いHIV/エイズケアのために、ホスピスの運営にも乗り出している。人口二五〇〇万人のネパールにエイズを診ることのできる専門医はただ一人。国立大学すら医療をほとんど提供しない中で、BDSの活動は本当に貴重である。
 これらの活動を支える資金は、欧米の政府機関、NGOなどの支援により賄われている。供出元にはNORAD(ノルウェー開発協力庁)、DFID(イギリス国際開発省)、現地オランダ大使館などが名を連ねている。
 ところがネパール最大の援助国である日本からの援助はゼロ。日本の援助はインフラ整備などに力点が置かれ、性的マイノリティといった課題にはまったく振り向けられていないのだ。日本と欧米との人権感覚の差がここには如実に現れている。
 ネパール入国に先立つ一二月二一日、ネパール最高裁判所は性的マイノリティの尊厳と権利の回復について極めて画期的な判決を出している。従来のネパールの身分証には男/女という二種類の性別表記しかなく、その変更が認められず社会の偏見も強いために、性を越境するトランスジェンダーはさまざまな困難を強いられてきた。そこに最高裁は彼らのアイデンティティーを認め「第三の性」の記載を認めよ、との命令を政府に出したのだ。加えて今回の判決には性的マイノリティに差別的な法律の廃止と平等な権利を保障する立法、同性同士のカップルに平等な権利を保障する検討委員会の設置を政府に命じることが含まれている。
 これが実現されれば事態は飛躍的に改善されることになるのだが、問題は政府が最高裁の命令をたびたび無視してしまうというところにある。このためBDSでは各方面へのロビイングに力を入れ、そのキャンペーンの一環として私が招かれたのだ。
 よって私がネパールに滞在した正味四日間の訪問先は多岐にわたった。日本大使館、JICA現地事務所への協力要請にはじまって、ネパールの三大政党をロビイング。ネパールに帰化し新党を立ち上げた日本人にも協力を求め、左翼政党に影響力をもつ学生組織まで訪ねた。
 一月一二日には、カトマンズ市内の由緒あるホテルを会場にBDS主催の政策提言のシンポジウムが開かれた。会場には各党から政治家が集まり、居並ぶテレビカメラの前で熱弁を繰り広げた。通訳の説明を聞く限り、どの政治家も非常にリベラルな考えを持ち、事態の改善に積極的であった。
 翌日、私は一連の大役を無事終えて帰国の途についた。
 さて、ネパールの性的少数者の今後はどう展開してゆくのだろう? 一二日のシンポジウムに集まった政治家らの発言は確かに協力的だった。しかしカメラの前でよい顔を見せたがるのは政治家の常である。果たして額面どおりに受けとめてよいものか、私の中には疑問符が浮かんでいる。
 当日、発言を求められた政治家の中に「カースト差別でさえこれだけ根深いのに性的マイノリティの問題がどれだけ改善できるのか……」とこぼす議員がいた。残念ではあるけれど案外このあたりが大方の政治家の本音ではないのかと私は危惧している。現地で見聞きした偏見はそれくらい根強いものだったのだ。
 BDSの本部は今、家主に立ち退きを求められている。BDSのホスピスも家主や周囲の理解を得られず幾度となく引っ越しを繰り返している。数年前、BDSメンバーが父親に殺される事件も起きている。理由は父親にBDSに出入りしていることを知られたからだ。当事者たちが必死に積み上げてきた成果も、常に偏見からその土台ごと崩れてゆく危惧があるのだ。
 さらに政治の混迷も深刻である。ネパールでは二一世紀に至るも中世さながらの絶対王政が続けられてきた。一九九〇年にいったん達成された民主化も翌年には国王親政の復活で頓挫。その後はマオイストの武装闘争もあって、半ば内戦状態が続いてきた。九九年以降、国政選挙は行われておらず、この四月の制憲選挙も三度目の延期が噂されている。
 ことは人道分野に限らない――ガタガタの道路、下水臭い公共水道、脆弱なエネルギー供給、医療・衛生環境の貧しさ、喉が痛むほどのスモッグ、低就学と児童労働――一見して改善が急務とわかる課題は目白押し。なのに肝心な政治はといえば混迷を続けるばかりなのだ。
 今回、ネパールを訪ねて政治の混迷が社会をおかしくしてしまう現実をまざまざと見せつけられた気になった。一政治家として、あらためて政治に真摯に向き合っていかなければと私は気を引き締めている。

(かみかわ・あや/世田谷区議会議員)
http://ah-yeah.com/


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