コラム・水平線

月刊誌『部落解放』の巻頭コラム「水平線」を著者のご了解を得て、転載いたします。

(2009/1/27up)




◆ フリーター、のさばる

〈『部落解放』2009年1月号掲載〉

小野俊彦

 去る一〇月二六日、東京のフリーター全般労働組合などが構成する「反戦と抵抗のフェスタ実行委」が企画した「リアリティツアー/麻生首相のお宅拝見」という見学旅行の参加者三人が不当逮捕された。記録された映像などから判断すれば、これはいわゆる「転び公妨」と呼ばれる種類の、公安警察の卑劣な行為による逮捕である。最初に逮捕された一人は、件の見学旅行ツアーの先頭でプラカードを掲げ、通行人に対してツアーへの参加を肉声で呼びかけていただけである。はじめに「弾圧ありき」の公安警察は、警告もなく、きっかけとなる「現行犯」にあたる行為も何もない状態で、歩いていただけの最初の被逮捕者に痴漢まがいにしなだれかかって抱えこみ、かれが当然それに抵抗を示した時点で、この弾圧の指揮に当たっていた私服警官が「コーボーだ! コーボーだ!」と叫びはじめたのである。警察は、警察暴力を止めようとした二人を含む三人を逮捕・拉致し、一〇日間勾留した。勾留決定に際して裁判官は「逃亡の恐れ」や「証拠隠滅の恐れ」などのまったく理解不能な理由を根拠に許可をしている。われわれはこの弾圧を黙認することを拒否し、福岡で真っ先に抗議の声を上げ、「無許可デモ」を貫徹した。念のために言っておけば、言論・表現の自由の行使には原則として警察の許可は要らない。警察が事前に情報をキャッチして監視に来る時点で完全に憲法違反である。
 いま、権力は明らかに「フリーター」たちが声をあげていることを恐れているのだ。六二億の豪邸に住むらしい麻生某は、わざわざ護衛つきでスーパーマーケットに行って「平民の生活」を見学した。だったらその「平民」であるところのフリーターや貧乏人が自分たちの「代表」ヅラをした人間の住む豪邸を見学し返して何が悪いというのか。私邸に近づかれるのが嫌ならば、政治家たちはせめて国会議事堂を市民に対して全面開放するべきだ。ともかく、権力の頂点に立っているらしい麻生某が貧乏人を見学する、貧乏人が麻生某を見学する。これが水平な民主主義的引力というものであり、その引力を恐れているのは支配者の側だけなのだ。
 「麻生邸に近づいていったい何をするんだ?」……そういう恐れのことを「テロリズム」という。「テロリズム」とは「テロル(恐怖)」による政治操作や支配のことなのだ。人民を怯える政治というのはそれ自体が民主主義に反する感覚であり、テロリズムに親和的なのだ。いわく「誰がどこでいつ何をするかわからない」……だから監視も強化される。何の法も犯していない「不審者」があぶり出され、排除される。普段「リベラル」とか「左翼」を気取っている人であっても、こういう統治者的感覚、あるいは警察の感覚を内面化していることはよくある。権力の頂点なるものに直接近付いてやろうという純粋な政治的引力を「脅威」だと考える、あるいはそれを正当な手続きを逸脱した「過激」だと観念する(しばしばリベラルな人々は議会制民主主義からの逸脱を極端に嫌う)。そのような形のない恐れが法を凌駕する。法がこのようなかたちで侵蝕されてゆくのはファシズムの特徴である。
 この企画と連動するかたちで、フリーター全般労組は格差社会や貧困の元凶でもある現政権のトップである麻生首相に団体交渉を申し込もうとしていた。総理大臣にフリーターの労組が団体交渉を申し込むとはどういうことか? 団体交渉は「労働組合法」を根拠にしており、それ自体も重要なことなのだが、それ以前に団体交渉権が憲法に書き込まれていることに重要な意味がある。日本国憲法において労働三権を規定した二八条は、憲法条項の中で唯一「国民」を主語としない、「勤労者」を主語とする権利条項である。そして「勤労者」とそうでないものを区別する発想が理解されうるのは、唯一それを「階級闘争」の歴史に照らしたときだけである。ここでいう階級闘争の本質は、個別の企業における労使交渉に留まらない。歴史的な階級闘争の発展は、いうまでもなく個別の企業を超えた、社会構造的な資本の意志総体と、それに従属することを拒否するものたちとの闘いの歴史である。この「総資本」と対立するものたちのことを単に狭義の「労働者」とすることはもはやできない。だから真の問題は「勤労者とそうでないもの」という分割ではなく、「資本とそうでないもの」の対立なのだ。この社会を根底的に規定している資本の論理と、その資本の論理に同一化して生きようとする欲望が一方にあり、他方にはそれに抵抗し、資本への従属を拒否する人々がいる。「資本の論理に従わないもの」の姿は、いまからわれわれが作り出すものなのだ。われわれはニートでもヒキコモリでも、われわれの仲間としていっしょに運動をやることができる。もはや階級闘争は狭い意味での「労資対立」に集約されない。われわれフリーターや貧乏人は、われわれなりのやりかたで階級闘争を、資本への闘いを担ってゆくのだ。  フリーターたちの「乱暴狼藉」に乞う御期待。「そういえば私も不安定で生きづらいフリーターだ」……そう思ったみなさん、一緒にどうですか?

(おの・としひこ/フリーターユニオン福岡)

フリーターユニオン福岡
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