コラム・水平線

月刊誌『部落解放』の巻頭コラム「水平線」を著者のご了解を得て、転載いたします。

(2009/10/28up)




◆ 島津侵略400年を問う節目の年に

〈『部落解放』2009年10月号掲載〉

薗 博明

 一九九七年三月に立ちあげた「三七の会」は、以後、毎年旧暦の三月七日に津代(笠利町手花部)の戦跡を訪ねてきた。島津藩(現在の鹿児島県)による奄美・琉球侵略の過程で戦のあったこの地で「棒から火の出る武器」で殺られた先人の無念さを偲び、封印されてきた「わきゃしま」(自分たちの島)を今一度振り返り、これからの奄美のシマと島の在り方を考えようと語り合ってきた。
 島津侵略四〇〇年目の節目が近づいた昨年一〇月、次の報道に接した。国連自由権規約委員会は二〇〇八年一〇月三〇日、日本政府に対して「アイヌ民族および琉球民族を国内立法下において先住民として公的に認め、文化遺産や伝統生活様式の保護促進を講ずること」と勧告し、「アイヌ民族・琉球民族の子どもたちが民族の言語、文化について習得できるよう十分な機会を与え、通常の教育課程の中に文化に関する教育を導入すべきだ」と。
 少数のメンバーによるささやかな営みが大きく報われたような感慨を覚えているとき、まもなくして三七の会のメンバーから「奄美出身の若者がわざわざ国連に出かけて訴えたことがあるらしい」との話を聞いて二重に嬉しかった。さらに、本年二月一九日、「シマグチ」(奄美のことば)は日本語の方言ではなく、世界でも認められている独立した「奄美語」であり、しかも絶滅の危機にあるとユネスコが発表したことも、一三年前から津代の戦跡に線香を手向けたことが報われたように思い、元気が出た。
 去る六月二〇日、「奄美を語る会」に出席した。少々無理をして鹿児島市まで出かけたのは、『奄美自立論』(南方新社)を著した喜山荘一さんの話を聞きたかったからである。同書に述べてある、一六〇九年の島津侵略から現在にいたる四〇〇年の歴史、奄美が無国籍の状態に置かれたこと、奄美のこれからについての方向付けなどの論及からいろいろ学び、貴重な示唆を受けたばかりだった。
 喜山さんの講演に納得しつつ加わった晩の懇親会でのことである。その場で解放出版社のOさんを知ることになるのだが、彼の自己紹介に驚いた。二十数年前、奄美の女性が結婚差別で命を絶ったことを新聞で読んだ、当時中学生のOさんは、その事実を頭のすみに置き続け、結果として反差別の闘いを仕事として選んだとのこと。そして、島差別に対する怒りの集大成として二〇〇〇年の国連先住民族作業部会で、沖縄の仲間と共に「沖縄人、奄美人は先住民族である」という旨のアピールを行ったこと。そのアピールから八年目の昨年、国連が「琉球(奄美)民族は先住民族であり、文化や言語を護るべき」という旨の勧告を日本政府に対して行ったこと――私は、自分の番で「震えがくるほど驚いている」と発言していた。なぜなら、その結婚差別の被害者の女性こそ、私の教え子だったからだ。結婚差別の被害者の存在を知った中学生が長じて国連に行き、その成果としての国連の勧告。そして、その勧告を武器として、奄美のあり方を問い直す動きが生まれている。すべてがつながっていたのだ。  奄美が日本に復帰した翌年(一九五四年)、私は高校卒業と同時に大阪に渡り、大阪、京都に八年間住んだ。そこで奄美出身を隠して、または名のることができずに生活している奄美出身者と出会い驚いた。怒りをあらわにしたり、意識してシマグチを使ったりした。否応なしに日本(人)とは、奄美(人)とは、と考えるようになった。
 教職一一年目の一〇月、集団就職で大阪に渡り看護婦になった教え子から電話がかかってきた。泣きじゃくりながら「大島人は嫁にできないと言われた。どうしたらいいの? 先生教えて」との声。婚約者の両親に出身地を聞かれ「奄美大島です」と答えたら、母親の態度が急変し席を立ったとのこと。学生時代の経験と重なり、やりきれない悔しさがこみあげてきた。たまらず大阪に飛んだ。縁談は進まず、教え子は二カ月後の大晦日に急死した(結婚破談の事例はこれだけではない)。
 このことがあってから、「自分は、ふるさと奄美の悲惨な歴史、島差別に対する怒りを強調するばかりではなかったのか」「しま(奄美)の何を誇りに生きていくのかを具体的にどれだけ語ってきたのか」。そんな思いにさいなまれた。以後、子どもたちと“しまさがし”にとりくむことになる。一九九五年に起こしたアマミノクロウサギなどの野生生物を原告にした「奄美自然の権利訴訟」はこの延長線上にある。
 奄美シマウタの第一人者、築地俊造さんが民謡日本一になったとき、シマウタは全国に紹介され奄美人のアイデンティティを刺激した。元ちとせさんの唄はシマンチュの誇りにさえなった。人権意識も高まってきた。しかし、島津藩植民地収奪以来つづく奄美植民地観・差別意識は、社会意識として根強く残っている。島津侵略から四〇〇年の歴史的責任を明らかにすることは、奄美のこれからのために欠かせない今日的課題である。

(その・ひろあき/NPO法人 環境ネットワーク奄美 代表、元鹿児島県同和教育研究協議会副会長)


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