コラム・水平線

月刊誌『部落解放』の巻頭コラム「水平線」を著者のご了解を得て、転載いたします。

(2010/7/6up)




◆ 鳩山首相の目線

〈『部落解放』2010年6月号掲載〉

前利 潔

 米軍普天間飛行場の移設問題は、今年に入って、奄美諸島の徳之島案が浮上してきた。複数案のひとつにすぎなかった徳之島案が、三月末ごろから、最有力候補地として報道されるようになった。さらに、昨年の段階から水面下で徳之島案が検討されていたことも、明らかになった。
 なぜ徳之島なのか。この問題を、近現代史の文脈に置いて考えてみたい。鳩山首相が徳之島案に魅力を感じたのは、奄美諸島が「沖縄県外」であり、「日本(本土)」でもない、ということにあるのではないか。日本という近代国家は、外交的な危機を、奄美諸島をふくむ琉球列島を犠牲(捨て石)、あるいは取引材料(道具)にすることによって、解決してきた。戦後初めて本格的な政権交代があったとはいえ、日本という国家の本質はそう簡単には変わらないということを、徳之島案は露わにした。
 太平洋戦争の末期、近衛文麿は昭和天皇に対し、「国体護持」の立場から戦争の終結(降伏)を上奏した。しかし、天皇は「もう一度戦果を上げてから」と、上奏を受け入れなかった。その「戦果」のために「捨て石」となったのが沖縄である。天皇は戦後も沖縄を「捨て石」として利用した。一九四七年九月、「ソ連の脅威」から「日本」を守るために、「(米国が)沖縄と琉球の他の諸島を軍事的に占領することを希望する」という、いわゆる「天皇メッセージ」が米国に伝えられた。このメッセージは、米国の沖縄政策に影響を与えたといわれている。この二つの史実は、天皇に体現される日本という国家の本質を明らかにしている。
 沖縄史から日本という国家をみてみよう。琉球国が明治国家に組みこまれたのは、沖縄県が設置された琉球処分(一八七九年)によってである。近世期の琉球国は清国の冊封体制下にあったことから、琉球処分は外交問題に発展した。日清間の交渉は、分島改約案として合意した(八〇年一〇月)。それは宮古・八重山諸島は清国帰属、沖縄本島以北は日本国帰属、という琉球二分割案であった。明治政府が宮古・八重山諸島の割譲(分島)という案に合意したのは、日清修好条規(七一年締結)では認められていなかった、中国国内における欧米諸国並みの通商権、最恵国待遇を獲得(改約)するためであった。結果的に分島改約案は、合意後に清国側が態度を変え、調印を拒否したことによって実現しなかった。
 日清戦争によって、日本が台湾を領有することになった十数年後、沖縄県を台湾総督府に合併させるという構想が浮上する。一九〇八年一〇月、台湾縦貫鉄道全通式の場で柵瀬軍之介代議士(岩手)が、半年前まで沖縄県知事だった奈良原繁貴族院議員(鹿児島)に対し、「中央政府が持て余している沖縄県を台湾総督府の管轄に移して、内地の負担を軽くしたなら、せめてもの母国への奉公になるであろう」と提案し、奈良原も同意した。報知新聞は、政府が沖縄と台湾を合併させた南洋道を新設と報道。政府がどれだけかかわっていたのか明らかではないが、日本への同化を進めていた沖縄側の猛反発もあり、南洋道構想は数カ月で立ち消えとなった。
 近代の奄美諸島は、鹿児島県から財政的に切り離された独立予算制度(一八八八〜一九三九)の下に置かれた。薩摩藩による明治維新の原動力(黒糖)であった奄美諸島は、近代に入ると、鹿児島県にとって負担となったことから、財政的に切り捨てられたのだ。半世紀も続いた独立予算制度は、戦時経済体制への移行によって幕を閉じ、戦後は八年間の米国占領下に置かれることになる。
 占領下の奄美諸島は、米国にとっても、日本にとっても「道具」であった。奄美諸島の返還(一九五三年一二月)は、戦略的に重要な沖縄の長期保有を前提に、それほど重要ではない奄美諸島は返還するという、米国の国防省(軍部)と国務省のバランスをとるかたちで決定した。米国にとって奄美諸島は、「戦略的道具」(西欧の特派員の表現)であった。吉田茂首相は奄美諸島の返還を、総選挙の「戦術的道具」として利用しようとした。鳩山一郎らの自由党内・反吉田派との対立を背景に、「バカヤロー解散」(五三年三月)に追いこまれた吉田首相は、米国が奄美諸島の返還については前向きに検討している情報を得ていたことから、選挙戦を有利に運ぶために、総選挙前に奄美諸島返還を発表することを米国側に要請した。この要請は実現せず、自由党は大敗した。
 ヤポネシア論を提唱した島尾敏雄は、「今までの日本の、歴史も政治も、その目の位置が低すぎ、南はせいぜい鹿児島どまり」「北海道も東北もそして琉球弧も等距離で見渡せるような場所から、日本を見たい」(『琉球弧の視点から』一九六七年)と述べている。この島尾の目線から半世紀近くたった現在だが、鳩山首相が提唱する「友愛」の目線は「せいぜい鹿児島どまり」ではないか。その目の位置は、あまりにも低すぎる。

(まえとし・きよし/沖永良部島知名町役場職員、自治労大島地区本部副委員長)


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