コラム・水平線

月刊誌『部落解放』の巻頭コラム「水平線」を著者のご了解を得て、転載いたします。

(2012/6/20up)




◆ 南芦屋浜のできごと

〈『部落解放』2012年6月号掲載〉

下村泰史

 この一月、私が所属しているアートNPOで、兵庫県芦屋市の南芦屋浜団地を見学に行きました。この団地は、阪神淡路大震災で住まいを失った、市の内外からの人たちに住処を提供すべく建てられた公営住宅です。震災後ゼロから計画をスタート、三年目(一九九八年)の春には入居にこぎつけました。名前のとおり、芦屋の一番南、海にほど近いところに建っています。
 まったくの見ず知らず同士が集まって住む高層住宅です。どうやって新しいご近所づきあいを創り出すのかが、大きな課題となりました。そこで持ち出されたのが「アート」だったのです。
 住む人みなが通る場所である各住棟のエントランスには、多くの芸術家たちがそれぞれに工夫を凝らした作品を設置しました。また住棟間の大きな広場には「コミュニティ・アーティスト」の発案で段々畑が作られました。住民がそこで野菜を作ることが、その作家の作品になるということのようです。なんだか不思議な気もしましたが、外構部分にお金をかけることができない公営住宅。「アートである」という理由づけによって、住民の畑、花壇を実現できた、ということもあったのだそうです。
 団地中に仕込まれた「アート作品」の中には、作品として十分に手入れをされず、あるいは潮風にさらされたりして、一四年を経て荒れた表情となっているものもありました。段々畑の一部を除いては、それらがその団地の今の暮らしの中で生きているという感じは、もうほとんど感じられませんでした(詳しくはNPO法人アート・プランまぜまぜブログ http://mazemaze1.exblog.jp/17756157/ をご覧ください)。
 阪神淡路大震災の前の数年間は「パブリック・アート」のブームがあり、再開発でできたビルや広場に高名な芸術家の彫刻作品などが奢られました。二〇〇〇年代以降には住民参加のワークショップによる仮設的な「コミュニティ・アート」の時代が来ました。南芦屋浜のできことは、その間の時期に当たります。それはコミュニティづくりを目指しながらも、ハードな作品を街に埋め込まずにいられない「パブリック・アート」時代の名残を強く残すものでもあったのです。
 これらの作品が、入居当初には多くの人をつなげたこともあったのでしょう。それらの作品がモノとして現存し、問いかけてくるからこそ、そうしたことを私たちは知り考えることができます。しかしその今日の姿は、私たちを少し戸惑わせるものでもありました。
 東日本大震災の復興まちづくりが本格化する頃には、また同じような形でアートの話が出てくるでしょう。それがその場所で続いていく日常の中にどのようにありうるのか。南芦屋浜団地は、ある苦さをもって振り返るべき参照点となっているように思います。

(しもむらやすし/NPO法人アート・プランまぜまぜ 京都造形芸術大学)


コラム・水平線INDEXに戻る



HOME

JINKEN BOOKは、(株)解放出版社が提供しています。 無断転載を禁じます 。
Copyright (C)Buraku Liberation Publishing House Co.,ltd 2001, All Rights Reserved


E-mail

(株)解放出版社
Phone:06-6581-8542(代表) Fax:06-6581-8552
東京営業所: Phone:03-5213-4771(営業) FAX:03-3230-1600