コラム・水平線

月刊誌『部落解放』の巻頭コラム「水平線」を著者のご了解を得て、転載いたします。

(2013/2/21up)




◆ 海神の残照

〈『部落解放』2013年2月号掲載〉

川上隆志

 この数年、韓国を何度か訪れている。行くのは決まって海岸部や島嶼である。はじめは日本への渡来人たちの文化的ルーツをたどることが狙いで、なかば観光気分で旅をしていたのだが、あるとき全羅道の南端にある莞島を訪れてからは、目的が張保皐の調査というように明確になってきた。
 張保皐の名前をどのくらいの人が知っているだろうか。韓流ドラマが好きな人には「海神」のドラマで馴染んでいるかもしれない。そうでない人にはなかなか知られていない名前だろう。しかし韓国では有名な歴史上の人物なのである。
 生年は分かっていないが、おおよそ八世紀の後半、統一新羅の時代に莞島に生まれた。若くして唐に渡り、折からの唐末の混乱に乗じて武力を蓄える。そして新羅に戻ると莞島を拠点として清海鎮大使という称号を得て大活躍する。その頃、韓国南部では海賊が多発していたが、張保皐はその平定に尽力した。そして海外交易を盛んにし、日本や唐などの東アジア諸国のみならず、遠く東南アジアやアラビア商人とも交易をしていた。当時の貴族が使用を禁じられた奢侈品の中に、中央アジアの宝石やペルシア絨毯、ジャワの鼈甲、南海の香木などが記録されているほどだ。
 豊かな財力と強大な武力を背景に、新羅政権の中枢にも触手を伸ばしてゆく。自らの娘を王妃として王宮に入れようとしたのである。しかし新羅は骨品制という強固な身分制で知られる国家体制の国だ。一介の海民出身のものが王の外戚となることには貴族からの強い反対があり、願いは挫折し暗殺されてしまう。
 こうした生涯をたどった張保皐だが、注目すべきところはその出自である。彼は被差別民である「海島人」の生まれだった。朝鮮半島ではさまざまの被差別身分の存在があった。と畜に関わった白丁、芸能を生業とした広大、葬儀や占いをする巫堂、遊女としての妓生などが名高いが、海民もまた差別の対象だった。済州の海民は「鮑作干」とか「鮑作人」と呼ばれ差別されていた。平たく言えば、農は天下の大本という考えのもとに、非農業民は差別されていたといえよう。
 なかでも差別の厳しかった白丁などは、かつては白丁村に集住し歩く時も一目でわかるような服装をさせられていた。だが朝鮮戦争によって国土が壊滅状態になったことでその存在も分からなくなり、結果、白丁は消滅したとされる。
 だが本当にそうだろうか。白丁の人たちは、その出自がばれないようにあえて家族が韓国各地にバラバラに別れて暮らしているという話も聞いた。そして確かに白丁の末裔だという人も存在する。悲しいことに人々の意識から差別観念が消えることはたやすいことでは無い。
 韓国の海辺を歩きながら、差別されていた海島民の出身でありながら覇を唱え、海島民ゆえに権力から退けられた張保皐の無念を想う。そして同時に多くの差別されてきた者たちの怒りにも思いを馳せる。そんな旅を続けている。

(かわかみ・たかし/専修大学)


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