コラム・水平線

月刊誌『部落解放』の巻頭コラム「水平線」を著者のご了解を得て、転載いたします。

(2013/4/18up)




◆ 日本のテレビ六〇年とメディア・リテラシー

〈『部落解放』2013年4月号掲載〉

田上時子

 今年二〇一三(平成二五)年二月一日は、NHK(日本放送協会)東京テレビが四時間の実験放送を開始してちょうど六〇年、人間でいえば還暦の年にあたる。
 NHK国民生活時間調査によると、二〇一〇年におけるテレビ視聴者の全員平均時間は、平日三時間二八分、土曜三時間四四分、日曜四時間九分、インターネットが普及してきた割には、テレビが国民のほとんどが接する「日常メディア」に変わりはない。
 私は普段、ほとんどテレビを見ない。見たい番組がない。だが、「女性とメディア」研究の視点で、テレビチェックは定期的にしている。
 一九七五年の国際婦人年では、ジェンダー(男女間の)格差問題は、固定化された性別役割分業や性差別の結果であり、メディアは、性役割・性差別に対する意識形成の唯一の要素ではないが、補強しているものと認識された。以後の「女性とメディア」研究は目覚ましいものがある。
 さて、日本のテレビは、「男女共同参画社会推進」に貢献しているか。答えは「否」であり、むしろ悪化していると思う。
 在宅する主婦を対象に編成されたのが、扱うテーマが政治、経済、社会、芸能と幅広いところから名付けられた「ワイドショー」だ。放送時間も長く、芸能人の冠婚葬祭と政治経済が同レベルで扱われる。ゴールデンタイム(午後七時から一〇時まで)を独占するのは、芸能人の内幕ネタに終始する「バラエティ」番組で、おバカキャラか熟女がネタにされる。ワイドショーもバラエティも日本だけにある番組形態である。ニュース番組では、アンカーは男性、アシスタントは若い女性が定番で、DVや子どもの虐待がテーマに取り上げられることはない。というように、ほんの一部の例を見ても明らかなように、テレビで描かれる女性は男性社会が期待する女性像であり、番組内容は性役割や性差別を助長するものであるのがわかる。
 カナダで「メディアの父」といわれたマーシャル・マクルーハンは、著書『メディアはマッサージである』(一九六八年、河出書房)で、テレビはマッサージのように、すべての感覚器官を通して私たちの日常と一体化し、テレビからの情報や価値観を一方的に受容するだけでは、自分のアイデンティティすら自分自身で決められなくなると指摘している。  私たちがテレビに受け身でなく主体的にかかわり、批判的に見る力を養い、読み解く方法を学ぶことが不可欠になる。これをメディア・リテラシーという。
 私が考えるメディア・リテラシーの最終目的はメディアとのコミュニケーション、つまりキャッチボールである。私たち国民の「知る権利」を保障し、民主主義を守るべく機能するテレビメディアであるためにも、テレビを読み解き、主体的に批判し、代案を述べる。そうすることによってテレビメディアも双方向通信となり、よりよいテレビを視聴者が創り出すことができると思う。

(たがみ・ときこ/NPO法人 女性と子どものエンパワメント関西理事長)


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