コラム・水平線

月刊誌『部落解放』の巻頭コラム「水平線」を著者のご了解を得て、転載いたします。

(2013/5/16up)




◆ なぜ私たちは喜んで新自由主義政党に投票するのか

〈『部落解放』2013年5月号掲載〉

西村秀樹

 最近、私はこう考える。なぜリバティおおさか(大阪人権博物館)への補助金が打ち切られ、なぜピースおおさか(大阪国際平和センター)で南京大虐殺展示が撤去されるのか。そんな折、こんな本を読んだ。『なぜ私たちは、喜んで“資本主義の奴隷”になるのか?』(作品社)。オリジナルの題名ではないが、翻訳者(杉村昌昭さん)がこなれた日本語に変えた(と、あとがきに書いてある)。フランス現代思想という、私にとって重いジャンルの本だから、いつもならば購入しなかったはずだ。にもかかわらず、なぜ購入したかというと、本のタイトルが私の好奇心を刺激しただけではなく、たまたま縁があった翻訳者と、大阪十三の居酒屋で一献傾けながら話をすると、本稿のタイトルのように読み替えてもまんざら誤読ではない、ようだったからだ。
 二年前の大阪府知事・市長ダブル選挙、そして昨年末の衆議院選挙と、共に競争原理を標榜する新自由主義政党が首長選挙を制し、衆議院選挙では自民党が友党とともに議場の三分の二になんなんとする議席を占めた。
 こうした結果に、本書の翻訳者は厳しい指摘をする。「自由競争と自己責任のイデオロギーを声高に唱える“橋下維新現象”の台頭に見られるように、このメカニズム(引用者註=“支配と隷属の連鎖的メカニズム”)のさらなる深化をもたらすであろう政治的潮流を人びとが支持するという危機的な状況に日本社会は立ち至っている」と。言葉はむつかしいが、その問題意識は私にはすとんと落ちた。そうなんだ、本来なら非正規雇用の増大など新自由主義の経済路線で被害を受けているはずの働く人びとが、なぜか新自由主義の政党に投票する。それをどう受け止めたらいいのか。マスコミが悪いのか教育が悪いのか。もちろん意識産業は現在の秩序を保つ装置には違いないが、その意識産業を支えるのがまた庶民というパラドックスがある。
 かの翻訳者は現状をこう分析する。「この間、過剰な公務員批判や公共サービスの削減を背景として行われてきた、新自由主義が打ち出す民営化という言葉の詐術による“公共性なるもの”の蔑視や叩き売り、そして“公共圏”の縮小にともなって、多くの人びとの間で“公共性”への軽視あるいは無関心が進行してきた」。その上で、「新たな“公共性”概念の政治的再構築をめざす」というのが処方箋だ。
 共和国という言葉は公共的なものに由来すると聞くと、腑抜けな私は、公共性こそが民主主義の原点だという思いに至る。公共性の軽視こそ反民主主義なのだと。
 最後に著者の言葉を引用する。冒頭の本の著者、フレデリック・ロルドン(「銀行の国有化、株式市場の閉鎖」を主張する経済学者)はインタビューでこう言う。「多くの人にとって資本主義の非正当性が明らかになっているこの時代において、反資本主義勢力が政治的にあまり成功をおさめていないことは、ひとつのパラドックスであり、私はこのことを自問し続けています」と。 なぜ私たちは新自由主義政党に投票するのか。問いは続く。

(にしむら・ひでき/近畿大人権問題研究所教員)


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