コラム・水平線

月刊誌『部落解放』の巻頭コラム「水平線」を著者のご了解を得て、転載いたします。

(2014/1/22up)




◆ 人が人を分けへだてする時 ◆

〈『部落解放』2014年1月号掲載〉

夏苅郁子

 本誌一〇月号を読んでいたら、日本に住む外国の方のお話があり、二〇年以上前に亡くなった親友のことを考えた。
 彼女は、私の初めてできた親友で在日韓国人だった。
 今のような「韓流」ブームもない時代で、しかも彼女は一〇代で結婚・出産・離婚と人生の辛酸を経験し、高校も中退だったため、就職にも難儀していた。
 一方の私は当時ひどい「うつ」に陥り、精神科医であるにもかかわらず、二回も自殺未遂を起こして、大学でもお荷物のような医者だった。
 国籍も職業も収入も、生きてきた過程もまったく異なる二人だったが、彼女は対等に私とつきあってくれた。
 いつか彼女が会社をクビになり金銭的に困っていたとき、私はお金を無理やり彼女に貸してしまった。
 彼女の心のなかが、どんな気持ちだったかはわからない。
 一カ月ほどして、彼女は全額返してきた。怒っていたのではなく「いっちゃんとは、ずっと親友でいたいからね」と、笑ってくれた。
 彼女は、私とのあいだに分けへだてしなかったのだ。
 医師という職業を良い意味でも悪い意味でも、一線を引いて見る人が多いなかで、彼女の存在は本当に嬉しかった。
 彼女には「這ってでも、生きていく」という強さと覚悟があった。当時、私は毎日「死にたい」とばかり考えていたが、彼女から、自分よりもっと大変な人生を背負った人がいるんだという事実、それでも毅然として生きていく彼女の強さにあやかって、私は立ち直れたと思う。
 その彼女が三〇代の若さで癌で亡くなり、私はそれから二〇年以上も生きている。
 生きようと頑張った親友の悔しさを想い、自分の許される寿命まで丁寧に生きていこうと思っている。
 彼女との出会いは、私に「人が人を分けへだてすること」の意味を考えさせた。
 私が最初に受けた分けへだては、転校だった。私は、父の転勤で北海道から九州へ転校した。
 北海道はアイヌの人たち以外は、本州から移住した人たちが作った町である。
 皆がよそ者なので、よそ者に対しては基本的に寛容な風土がある。
 ところが、九州の中学に行って驚いた。「熊がウヨウヨする、北海道から来た子」と言われ、徹底的にいじめられた。
 何も悪いことをしていないのに、出身地だけで不当な扱いを受けることは、納得できなかった。当時の屈辱感は、思春期の私に「恨み」という感情を植え付けた。私が医師になろうと思ったのは、この恨みによるところが大きいと思う。
 私の母もまた、分けへだてされた。
 先月、たまたま故郷の北海道へ行き従姉弟と会った。私は、家族の歴史を辿れるような写真を持っていない。父が十回以上転勤したことや、母が統合失調症となり入退院後に両親が離婚、その後父が再婚したため、母にまつわる写真は整理されてしまったのだ。
 父と母の結婚式の写真があったので、従姉弟が「いっちゃん、持ってないんだったら、これあげるよ」と私にくれた。
 自宅に戻ってから、しみじみと両親の結婚写真を眺めていると、変なことに気付いた。父方の親戚はみな、モーニングや留袖など礼服を着ていたのに、母方の親戚は粗末な普通の背広姿だった。
 父の家は、かつてお手伝いさんが三人もいたことがあった豪商だった。母は、小学校しか出ていない両親のもとで育った一人娘で、父が一目ぼれして無理やり母と結婚したいきさつがあった。
 母の結婚生活は幸せではなく、そのためかわからないが、私が一〇歳頃に母は統合失調症になってしまった。結婚後、母は栄養士や看護師の資格を取ったが、私が医師になったように、恨みや悔しさから勉強したのかもしれないと考える。
 人間は自分と「分類」が違うものを分けへだてしたがる。
 それに打ち勝って、誇り高く生きるのは容易ではないことを、私は親友や母そして自分自身の人生を振り返って考える。
 打ち勝てなかった人たちは、どう生きれば良かったのか。
 人を分けへだてすることは、たとえようのない不幸を産む。

(なつかり・いくこ/児童精神科医)


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