コラム・水平線

月刊誌『部落解放』の巻頭コラム「水平線」を著者のご了解を得て、転載いたします。

(2014/2/22up)




◆ 近代日本の歩みから「人権」を考える ◆

〈『部落解放』2014年2月号掲載〉

森下光泰

 主に人権や戦争・核などをテーマに、近現代史的な視点からテレビ番組を作ってきた。番組を制作する際には、限られた時間に視聴者にどんなメッセージを伝えられるだろうかと頭を悩ませながら構成し、情報の取捨選択に苦しみながら編集するものだが、日本の人権運動における金字塔である全国水平社を描いたときにも、どのエピソードを入れるのか非常に悩んだ。歴史的事件を取り上げても、その意義が伝わらなければ番組のメッセージにはならない。このときは、西光万吉の訴えを聞いた新聞記者・難波英夫が、「人間は同情したり、憐れんだりする存在ではなく、尊敬すべきものなのだ」と気づかされるシーンを入れた。そこにこそ、普遍的な人権を追求する運動としての部落解放運動の最大の意義があると考えたからだ。
 普遍的な理念としての「基本的人権」は、日本国憲法制定の際、「侵すことのできない永久の権利」と書き込まれた。しかし、急速に発達したネット空間に、デマや悪意を持った書き込みがあふれ、街頭でヘイトスピーチが繰り返される昨今の事態は、この社会に人権思想が深く根付いていなかったことを証明している。なぜ根付かなかったのか。一因として、過去の人権侵害への反省が十分でないことが挙げられるだろう。戦時下の人権侵害は、多くが責任の所在を曖昧にしたままにされた。
 小林多喜二を歴史番組で取り上げたとき、治安維持法違反に問われ、拷問を受けた人たちを取材した。思想を問題とされ、理不尽で暴力的な取調べを受けた恐怖は六〇年の時を経て、鮮明だった。しかし犠牲者のほとんどは国家補償も謝罪もないまま鬼籍に入りつつある。捜査当局に広範囲な取締り権限を持たせかねないとして特定秘密保護法に、不安の声が上がる背景には、このような点もあるのではないか。
 憲法をめぐる議論にしても然りである。日本国憲法を悪し様に言う人たちは、占領下で制定されたことを問題にしてきた。しかし憲法の理念である基本的人権や主権在民などは、明治以降の近代日本において求め闘われ続けてきたものでもある。そのことを、存在をもって示しているのが、自由民権の時代から敗戦後までを生きた宮武外骨という人物だ。明治時代、「滑稽新聞」という頓智とユーモアの効いた新聞を発行し、幾度も投獄されながら権力批判を続けた外骨は、大正デモクラシー期には日本における「少数民族の自治権」などを主張、関東大震災の直後には朝鮮人虐殺問題を取り上げる。太平洋戦争下、多くの出版言論人が翼賛団体に組織されても、これに加わることなく、明治以来の新聞や雑誌を蒐集し続けた。東京大学の地下に残る「明治新聞雑誌文庫」を撮影しながら、人権や民主主義を求め、日本のあり方をめぐって闘わされた議論を、将来に残さなければという外骨の執念を感じた。
 時代の大きな転換点に立たされた今、何をすべきかと自問する。やはり近代日本の歩みと向き合うことが、まだまだ大事なのではないか、と私は思う。「人権」をはじめ受け継ぐべき普遍的な価値を見出し、放送を通じて伝えていきたいと思う。

(もりした・みつひろ/NHKディレクター)


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