コラム・水平線

月刊誌『部落解放』の巻頭コラム「水平線」を著者のご了解を得て、転載いたします。

(2014/10/17up)




◆ 母なる海としての釜ケ崎 ◆

〈『部落解放』2014年10月号掲載〉

神田誠司

 日雇い労働者の街・釜ケ崎は、大阪市西成区の萩之茶屋を中心とした〇・六二平方キロメートルほどの狭い地域だ。この街に、はじめて足を踏み入れたのは今から二四年前、一九九〇年一〇月におきた釜ケ崎暴動のときだ。
 大阪本社社会部にあがったばかりだった私は、寄せ場のなんたるかさえ、まったく知らなかった。着いたときには西成警察署に向けて労働者たちの投石が始まっていた。暴動のきっかけのひとつが、西成署の警察官が暴力団からわいろを受け取っていたことだったからだ。そのうち道路の中央に山のように積まれた自転車に火がつけられた。夕闇のなか、オレンジ色の炎が鮮やかだった。黒煙がもうもうと空へと立ちのぼっていた。
 釜ケ崎の印象は強烈だった。この街のことを知りたい。どのような人々が流れ着き、どんな暮らしをしているのか。それをまとめて記事にしたい。そのとき、心に決めた。だが、新聞記者はめまぐるしく担当する持ち場が変わる。ずっと思いながら果たせなかったが、一八年後の二〇〇八年秋から釜ケ崎を取材に歩くようになった。比較的、自分で取材テーマを選べる編集委員になったせいもあって、長年の宿題だった釜ケ崎に手をつけようと思い立ったからだ。
 ほかの取材のあいまを見つけては、労働者や路上生活者、労働組合や支援する人たちの話を聞いて歩いた。一年半取材した話の一部を夕刊に連載し、二〇一二年に『釜ケ崎有情』(講談社)という本にまとめて出版した。
 登場するのは、釜ケ崎で多かれ少なかれ人生が変わった人たちだ。釜ケ崎にとどまった人だけではない。いまは北九州市で牧師をしながら、「ホームレス支援全国ネットワーク」の理事長をしている奥田知志さんも大学時代、日雇い労働者や路上生活者支援のために釜ケ崎に深くかかわったことで、その後の人生が劇的に変わった一人だ。貧困や格差、差別や挫折、そして再生が凝縮された釜ケ崎の街は、かかわった人の人生を変えるだけの力を内包している。
 最近取材した大阪府豊中市の社会福祉協議会でコミュニティーソーシャルワーカーをしている勝部麗子さんもそうだった。ごみ屋敷や引きこもりなど既存の法律や制度の埒外で苦しむ人たちを住民と一緒に救う活動に取り組んでいる人だ。そうした法律や制度のはざまで苦しむ人たちと初めてまじかに接した原点が、学生時代にアルバイトで通った釜ケ崎だった。ビッグイシュー日本の代表、佐野章二さんも釜ケ崎に影響を受け、社会的起業の道に踏み出した一人だ。
 『釜ケ崎有情』にはこんなサブタイトルをつけた。「すべてのものが流れ着く海のような街で」。海はすべてを受容すると同時に何かを生み出す「母なる海」でもあるという思いを込めた。非正規労働という働き方が特別ではなくなり、世の中が釜ケ崎に近づいた。だからこそ、いまも釜ケ崎から目を離せない。

(かんだ・せいじ/朝日新聞社編集委員)


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