コラム・水平線

月刊誌『部落解放』の巻頭コラム「水平線」を著者のご了解を得て、転載いたします。

(2015/3/30up)




◆ 恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利 ◆

〈『部落解放』2015年3月号掲載〉

山内小夜子

 二〇一三年一二月二六日、安倍晋三首相は靖国神社を参拝した。現役首相の靖国参拝は、二〇〇六年の終戦記念日に小泉純一郎首相(当時)が参拝して以来、七年ぶりだ。小泉首相の参拝では、東京、千葉、大阪(二件)、松山、福岡、那覇の六地裁で七件の違憲訴訟が闘われ、福岡地裁では明確な違憲判決が示された。にも拘らず、安倍首相は参拝を強行した。
 参拝後、中韓両国は外交ルートを通じて日本政府に抗議、ロシア外務省は「遺憾の意」を、米国までが「失望」と表明する事態が生じている。この状況のなか繰り返された首相による靖国神社参拝の目的はなにか。
 昨年の秘密保護法の制定、集団的自衛権行使容認の閣議決定、今年に入っての「イスラム国」による日本人人質事件の政府の対応と中東政策の流れをたどると、「戦争の準備」を意図した靖国参拝が見えてくる。
 この安倍首相の靖国参拝の違憲性を問う訴訟が、二〇一四年四月一一日大阪地方裁判所、同月二一日に東京地方裁判所で、一〇〇〇名を超える原告らによって提訴され、現在法廷闘争が続けられている。
 訴えの内容は、@首相(公人)の参拝は、一宗教法人への極端な傾倒であり、政教分離原則に抵触する行為であり、A日本国憲法第二〇条によって定められている国民の信教の自由の権利(特に「内心の自由形成の権利、信教の自由確保の権利、回顧・祭祀に関する自己決定権」の三つの権利)を甚だしく侵害する行為だとして、安倍晋三、靖国神社、国の三者を被告として訴えた。靖国神社を被告に加えたのは、戦前、戦没者遺族の悲しみの感情を収斂し、天皇制国家への忠誠と戦争を翼賛し遂行させる精神的支柱として機能した歴史と関係がある。さらに加えて、今回は「平和的生存権」侵害を前面に主張している。平和的生存権とは、憲法が保障する「恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利(前文)」のことである。
 自衛隊のイラク派兵を問う裁判(名古屋高裁)では、それまでの憲法解釈を一歩すすめ、憲法の基本的精神や理念を表明したものに留まるものでないとした。自衛隊イラク派兵違憲訴訟の「判決(二〇〇八年四月一七日)」で次のように述べている。
 「平和的生存権は、現代において憲法の保障する基本的人権が平和の基盤なしには存立し得ないことからして、全ての基本的人権の基礎にあってその享有を可能ならしめる基底的権利であるということができ、単に憲法の基本的精神や理念を表明したに留まるものではない。(略)憲法九条が国の行為の側から客観的制度として戦争放棄や戦力不保持を規定し、さらに、人格権を規定する憲法一三条をはじめ、憲法第三章が個別的な基本的人権を規定していることからすれば、平和的生存権は、憲法上の法的な権利として認められるべきである。」
 安倍靖国参拝訴訟には遺族のみならず、若い世代の原告も参加している。原告のY氏(28歳)は「参拝後のアジアの緊張の高まりは一学生の私から見ても恐怖を覚える。過去に違憲判決が出ているのに、参拝するのはおかしい」と訴えた。大学生のA氏(24歳)は、法廷にて「被告らは私たちの平和的生存権を侵害しています。私は戦争に行きたくありませんし、靖国神社に祀られたくありません」と意見陳述した。戦争をする国は祀る国。戦死者の処遇を探りながら語られる「積極的平和」とはなにか。内実の伴わない言葉だけの「平和」はもう終わりにしよう。人権と平和が実現する日は、いつになるのだろう。それでも、私たちは平和を決してあきらめない。

(やまうち・さよこ/真宗大谷派解放運動推進本部委員)


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