コラム・水平線

月刊誌『部落解放』の巻頭コラム「水平線」を著者のご了解を得て、転載いたします。

(2015/7/17up)




◆ 「劇場」の潜在力に期待する ◆

〈『部落解放』2015年7月号掲載〉

鵜山 仁

 われわれはこれまで、印刷、レコード、フイルム、テープ、CD、MD、HD、USBチップ等々、実にさまざまな記録用メディアを経験してきました。だが近ごろ、結局手書きの紙媒体の耐久性に勝るものはない、という話をよく聞きます。送り手と受け手のあいだのコミュニケーションの温度の高さ、手間暇かけたメッセージのやり取りが、やはり最後には人を動かし、それがまた人から人へと伝えられていくということなのでしょうか。
 たとえば、演劇というライブアートが稽古場から舞台、舞台から客席へと伝わる過程には、台本や配役、劇場の決定、長期間にわたる稽古、大道具、小道具、衣装、照明、音響等の製作、設営、公演に際しての観客動員等、厄介な困難がつきものです。しかしその困難の核心である人間同士のふれあい、きしみあいこそが、人と人とを結びつける力となり、長く後世に伝わるメッセージを成立させるのではないか。僕自身、そういうライブの表現の特殊性に、むしろ近頃、誇りが持てるようになりました。
 現代社会を席巻するデジタルメディアの物量戦を目の当たりにすると、舞台演劇などきわめて効率の悪い、前近代的な表現形態に見えるかもしれませんが、人間の表現のおおもとは、あくまでもライブの、また手書きのパフォーマンス。これを抜きにしては、どんな優秀な複製媒体も、本質的には意味がありません。地域の特性や、人間一人ひとりの個性を飲み込んでしまうような効率化と平均化の波は、時に一種の民主化とも見えますが、うっかりその奔流に身を任せてしまうと、ライブアートの独自性など、たちまち押し流されてしまいます。今こそ地道で、血の通った、表現の積み重ねが必須です。
 人間が自然を離れて人工の空間「都会」に住むようになった時。われわれは樹木の枝葉を伐採し、加工しやすい建築資材に変え、大多数の食用に適するように食材を切り刻んだ。その結果ゴミと無駄が恣意的に作り出され、やがてそのプロセスが固定化、制度化されてきたわけです。近代とはつまり、そうした効率化=差別化の所産なのかもしれません。
 しかし複雑な関係性をたたえつつ生々流転する自然から、一見ノイズと見える物を除去し、人間にのみ都合のいい画一的な情報に置き換えた時点で、われわれは何か大事な物をなくしてしまった。その「何か」が今、毒性を帯びて、われわれの身勝手に「復讐」している。そのあらわれが、たとえば原発事故であり、地球温暖化なのではないか。
 広く、深く、豊かなコミュニケーションは、それ自体が生命のエネルギーの源泉だと思います。ならばこそ無味乾燥な孤立化の対極にある猥雑な共生感覚、つまりは自然の生命力を取り戻すきっかけとなるマジック・ボックス、「劇場」の潜在力に、今後とも、大いに期待をかけたいのです。

(うやま ひとし/演出家)


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