コラム・水平線

月刊誌『部落解放』の巻頭コラム「水平線」を著者のご了解を得て、転載いたします。

(2016/1/19up)




◆ 我が家に来た脱走兵 ◆

〈『部落解放』2016年1月号掲載〉

小山帥人

 人の記憶はあいまいなものだ。数十年も前に会った人の顔を覚えていることは難しい。でも映像が残っていれば、人は記憶を反芻し、脳に刻むことができる。
 今から四八年前の一九六八年の春、ベトナム戦争から脱走した一人のアメリカ人青年を自宅にかくまったことがあった。メモは残さない約束だったが、わたしは後日のことを考えて16ミリカメラで脱走兵を撮影した。
 撮影した映像は二〇分あまり、モノクロの映像だが、キャルという名の脱走兵が食事をしたり、ネコと遊んだり、アメリカのベトナム介入に反対する声明を読む姿が記録されている。この映像を携えて、ベトナム戦争終結四〇年の二〇一五年夏、キャルを探してアメリカに行くことにした。
 ようやく探し当てたキャルは、自分の家を持たず、老人の看護をしながらカリフォルニアで暮らしていた。一九歳だったキャルは六七歳になり、頭は白く、背中が曲がっていたが、青い眼は昔の面影を残していた。
 当時、キャルは関西で市民たちにかくまわれ、六八年四月下旬、他の五人の脱走兵とともに北海道の根室からカニ漁の船で出航した。ソ連を経てスウェーデンに行ったのだが、三カ月後、アメリカに帰国し、軍の刑務所に入れられた。
 その後、二歳年下のスウェーデン女性の勇敢な行動のおかげで、キャルは軍の拘束から解放され、スウェーデンに行って彼女と結婚し、娘も生まれた。ところが、キャルは軍隊で覚えた麻薬から逃れられず、自己を見失う。一歳の娘を抱いたキャルの写真を見ると、その眼は虚ろだ。キャルは離婚してアメリカに戻り、不安定な仕事を繰り返し、ホームレスも経験した。
 国連人権委員会は、思想、良心、信教の自由を保障する世界人権宣言に沿って、良心的兵役拒否の制度を各国に勧告している。国家が殺人などの悪をなせと命令したときには、それに抵抗し、軍を脱走する権利があるはずだ。
 アメリカにも良心的兵役拒否の制度があるが、「臆病もの」「裏切り者」扱いする人たちは多い。とくに脱走兵への社会の眼は冷たく、就職も難しい。「人を殺したくない、殺されたくない」という自然な気持ちが、戦争では踏みにじられる。
 ワシントンのベトナム戦争の記念公園には、五万八〇〇〇人の戦死者の名前を刻む巨大な石碑がある。キャルも、脱走せず、戦場に留まっていたら、この石碑に名前が刻まれることになったかもしれない。
 今、キャルには九人の孫がいる。脱走兵にとって、アメリカ社会がどんなに住みにくいところであっても、キャルは生きていてよかった。
 「日本でぼくを泊めてくれた人は一人の例外もなく、ぼくを寛大に、親切に扱ってくれた。それはぼくの日本での最良の想い出だ」  太平洋に沈む夕陽を見ながら、キャルは一言一言、噛みしめるように話した。

(こやま・おさひと/ジャーナリスト)


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