コラム・水平線

月刊誌『部落解放』の巻頭コラム「水平線」を著者のご了解を得て、転載いたします。

(2016/5/18up)




◆「司法のねらい」いつまで続くのか ◆

〈『部落解放』2016年5月号掲載〉

鎌田麗香

 東海テレビ制作の映画「ふたりの死刑囚」が、今年に入り公開された。名張毒ぶどう酒事件の奥西勝さんと袴田事件の袴田巖さんを追ったドキュメンタリーだ。今回、監督を務めたが、東海テレビでは三〇年以上も前から名張事件を取材していて、「奥西さんは冤罪である」というスタンスを貫いている。  奥西さんは逮捕後、半世紀にわたり無実を訴えてきたが、去年一〇月八王子医療刑務所で亡くなった。一方、袴田さんはおととし再審開始決定が出たと同時に釈放され、姉の秀子さんと暮らしている……。
 一見、対照的なふたりのように見えるが、袴田さんも死刑確定後に「拘禁反応」という精神障害に陥り、自分がどういう人間で、なぜ拘置所にはいっていたのかも分からない状態。そして再審も始まらず、肩書きはいまも「死刑囚」のままで、決して幸せとはいえない。
 八〇歳の袴田さんを前に、司法は何を狙っているのか、そして奥西さんの死は、司法の狙い通りだったのか。映画に込めたものは怒りしかない。
 撮影当初から、奥西さんはいつ亡くなるか分からない状態だった。できれば生き長らえて一日も早く再審開始を勝ち取って欲しかったが、亡くなった場合の「死後再審」のことを想像させるストーリーを作ることは決めていた。その際、最初に取材したのが帝銀事件だった。
 「ふたりの死刑囚」と言いつつも、作中にはもうひとり、亡くなった帝銀事件の平沢貞通さんが出てくる。奥西さんと同様、毒物事件で逮捕され無実を訴えていたが、一九八七年に八王子医療刑務所で獄中死。亡くなる前に支援者の武彦さんが養子となり再審を引き継いだが、武彦さんも自宅で孤独死した。その当時は、再審請求のメドも立たぬまま、平沢さんの描いた画だけが支援者のマンションに積まれている状態だった。現在、二〇回目となる再審請求が始まったが、死後再審の厳しさをひしひしと感じる。
 検察、裁判所という組織は事件を引き継いでいくが、個人の時間には限りがある。平沢さんを取り上げることで「人の命を前に、国はあまりにも冷徹すぎる」というメッセージを込めた。
 奥西さんが去年一〇月四日に亡くなった時、来るべき時が来てしまったと思う一方、本当に命の炎が燃え尽きるまで、最後の最後まで頑張ったと感心した。「お疲れ様でした。これで少し楽になりましたね。天国でお母さんに会ってくださいね」。塀の外にようやく出てこられた亡き骸を前に思いを伝えた。
 奥西さんの死後、遺品が整理され、拘置所の中で書かれたとみられるノートが数冊出てきた。獄中で作られた俳句や短歌のほか、家計簿のようなもの、さらに気まぐれに書かれた日記があった。ある日の日記にこう書かれていた。
 「いっそのこと真犯人であった方が楽になれるのじゃないかと思う。殺人としての濡れ衣は本当に頭が狂い声にもならない」
 辛くとも生き抜く道を選び、そして無念の死を遂げた奥西さんのことを思うと、本当に気の毒だ。奥西さんの思いを忘れずに、弁護団には死後再審も闘い抜いて頂きたいし、東海テレビとしても真実を追い求め、事件を過去のものにしないよう継続的に報道していきたい。

(かまた・れいか/映画「ふたりの死刑囚」監督)


コラム・水平線INDEXに戻る



HOME

JINKEN BOOKは、(株)解放出版社が提供しています。 無断転載を禁じます 。
Copyright (C)Buraku Liberation Publishing House Co.,ltd 2001, All Rights Reserved


E-mail

(株)解放出版社
Phone:06-6581-8542(代表) Fax:06-6581-8552
東京営業所: Phone:03-5213-4771(営業) FAX:03-3230-1600