コラム・水平線

月刊誌『部落解放』の巻頭コラム「水平線」を著者のご了解を得て、転載いたします。

(2016/6/16up)




◆「おまえに何がわかるんや?」◆

〈『部落解放』2016年6月号掲載〉

岸 政彦

 社会学者という仕事をしていて、いろいろなところに調査に入る。統計調査ではなく、一人ひとりにお会いしてその人生を聞くというやり方である。主なテーマは沖縄だが、大阪の被差別部落で聞き取りをすることもある。
 私自身は、ほとんどの軸において、マジョリティである。男性で、健常者で、中産階級で、日本国籍で、ナイチャーで、部落外の人間だ。だから、多くの場合、マジョリティの立場から沖縄や部落で調査をさせてもらうことになる。もう二〇年以上も社会学というものに携わって、生活史の聞き取り調査をしているのだが、調査というものは、「こんなところまで何しに来た?」「この調査は何かの役に立つんか?」「おまえに何がわかるんや?」の連続である。
 もちろん、実際にこういうことを言われることはほとんどない。一回もない、と言ってもよい。沖縄でも大阪でも、語り手のみなさんは、私の突然で不躾な調査のお願いを、快く引き受けてくださっている。むしろ、生い立ちや人生の長い物語を聞いたあと、お礼を述べると、こちらこそ昔のことを思い出せてよかったよ、懐かしかったよと、逆にお礼を言われることがある。
 ただ、私には忘れられない一言がある。まだ学部生だったころ、右も左も分からないまま、ある社会学者に連れられて、たまたま釜ヶ崎の組合活動家の聞き取りに同席したことがある。釜ヶ崎のこともよくわからず、調査などというものも参加した経験もなく、西成の小さな居酒屋の座敷で、活動家の男性を囲んで数人の社会学者がインタビューするその席に、黙って座っていた。聞き取りの最後の方で、その男性が突然私を指差し、お前は誰やと聞いた。あ、すいません、まだ学部生で。勉強しに来ました。私が答えると彼は、そうか、と言って、一言だけつぶやいた。
 「うまいもん食ってそうな顔しとるな。」
 私はきょとんとして、ただ黙って曖昧に頷いたのだが、あれが嫌味だとわかったのはそれから数日経ってからだった。
 釜ヶ崎で長年、過酷な労働に耐え、路上の仲間たちとヤクザや警察や行政を相手に血みどろの闘いを続けていた彼から見れば、当時は痩せた色白の学生だった私は、いかにもお坊ちゃんお坊ちゃんした若造に見えただろう。彼は私に、こんなところに何しに来たんや、おまえに何がわかるんやと、痛烈な問いを投げかけたのだった。
 そのあと社会学の道に入り、さまざまな方とお会いして聞き取りをしてきたが、ここまで直接的にその「立場性」を問われたのは、いままででこの一度だけだ。私はこの一言をよく思い出す。私はあのとき、どう答えるべきだったのだろう。そして今なら、どう答えるだろうか。
 立場を超えることはできない、とよく言われる。他者を安易に理解することは暴力であると。しかし、「おまえに何がわかるんや」という問いかけは、他方で同時に、ほんとうにちゃんと理解してくれるのか、という問いかけでもあるのではないだろうか。私たちマジョリティは、安易に他者を理解したつもりになってはならない。それは確かに、暴力であろう。しかし同時に、私は強く思うのだが、他者を理解「しようとすること」を、諦めてはならない。
 私はもういちど、あの活動家のおっちゃんに会いたいと思う。あれからたくさんの論文や本を書いてきた。聞き取りもずっと続けてきた。いまの私は、何を食ってそうな顔に見えるだろうか。

(きし・まさひこ/龍谷大学社会学部 教授)


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