コラム・水平線

月刊誌『部落解放』の巻頭コラム「水平線」を著者のご了解を得て、転載いたします。

(2016/7/21up)




◆権力が弱者に強いる選択肢◆

〈『部落解放』2016年7月号掲載〉

北原みのり

 先日、古い映像をみていたとき。市川房枝さんが、「(戦争で)血を流した犠牲の上に、女性参政権がある。みなさん、大切にしましょう」と語る姿があった。見てはいけないものを見ているような思いで、ドキドキした。
 一九二〇年代の新聞を読むと、市川房枝さんをはじめとする女性参政権運動の盛り上がりが伝わってくる。あと数歩で女性参政権が得られるかもしれない……そんな空気が高まってきたその矢先に、日本が日中戦争を始める。もうその時には「参政権」といった権利を主張することはできなくなっていた。戦争反対を訴え続け、女の政治参加を求めてきた市川さんは逡巡した上で政府への協力を決断する。市川さんには、三つの選択肢があった。一つ目は、これまでの運動を貫き逮捕される。二つ目は現実的に政府に協力する(工場で働く子育て中の女性たちの保育問題など、市川さんたちにはノウハウがあったのだ)。三つ目の選択肢は一切黙ることだった。
 権力は絶妙に弱者に選択肢を与える。だけど、その選択肢は限られていて、どれをとっても後悔が残る。主体性と自己決定を尊重する体で、暴力はより深まっていく。
 ああ、話がずれた。市川さんが「血を流した犠牲の上に女性参政権がある」と言ったのだった。それが市川さんにとっての、そして当時の日本人が「日本軍から解放された」と喜び受けとった「民主主義」のリアルなのだろう。市川さんの仰る犠牲者が「日本人」だけを指しているのかどうかは分からなかったが、それでも、日本軍に殺され、人生を狂わされた国々の人々に、この言葉はやはり酷い。少なくとも私は、私たちの戦後の「平和」が、現在進行形の犠牲の上にどれほど成り立ってきたのかを突きつけられた。そして冷戦構造の矛盾を背負わされ、植民地時代の爪痕に苦しみながら民主主義を勝ち取ってきた被植民地国の民主主義を前に、日本の「戦後民主主義」の意味を考えさせられた。
 今、安倍政権下で、歴史は耳に優しい言葉が書かれた軽い紙切れのように扱われている。歴史に学ぶことなく、そして弱者に容赦なく自己責任を求める政治が続いている。私が恐れているのは、もう既に私たちが市川さんが味わったような「選択」を迫られているように感じることだ。実際、メディアは「現実的に権力に協力する道」をいち早く選んでいるようだ。戦前からずっと平和を訴え続けてきた市川さん自身が、どんな思いで戦争協力をしたのかと思うと胸がつぶれそうになるが、市川さんの「選択」が、遠い過去の話ではなくなりつつある今の日本で、私は自分が手にしている「民主主義」を、もう一度ひっくり返して、重さを確かめるようにして、知りたい。その「重さ」を文字通り、味わうようにして今一度、学びたい思いでいる。

(きたはら・みのり/作家)


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