コラム・水平線

月刊誌『部落解放』の巻頭コラム「水平線」を著者のご了解を得て、転載いたします。

(2017/2/17up)




◆ 「国歌」と民主主義の流儀 ◆

〈『部落解放』2017年2月号掲載〉

高吉美

 昨年九月、何気なくネットニュースを見ていると、「国歌斉唱で不起立のキャパニック、オバマ大統領が擁護」(二〇一六年九月五日、ロイター)という記事が目に飛び込んできた。アメリカ・ナショナル・フットボールリーグのスター選手であるキャパニックは、人種差別と警察官による暴力行為に抗議し、国歌斉唱時の起立を拒否し続けているという。
 これに対し、オバマ大統領がG20サミットの記者会見で「彼は、憲法で保障されている表現する権利を行使している」と語り、彼の行動に抗議している人たちに対し「キャパニック選手は徐々に彼自身の考えを深めていると思う。そうすれば彼を非難する人たちも考えるようになる。キャパニック選手は正義と平等に、的確に懸念を示しているのだと気づくはずだ。これが、私たちが前に進める道だ。時には困難をともなう。しかしそれが民主主義の流儀だ」と語ったという(二〇一六年九月六日/ハフィントンポスト)。
 「国歌」に、在日コリアンの私は翻弄されてきた。とりわけ今は成人した娘たちの入学式や卒業式では、毎回、胃の痛む思いを繰り返した。式が始まると起立をうながされ、開会宣言が行われる。そのあと、起立したまま「国歌斉唱」。全員が立っているなかで、ただひとり、着席するときの孤独と不安。壇上には日の丸がデンと貼られているので、顔をあげるのも嫌だ。バツが悪そうに見て見ぬ振りをするママ友たち――日本人の集団のなかにいるマイノリティの自分を、否が応にもつきつけられる時間だった。私の行動を擁護する人も、逆に非難する人もいない。学校側は日の丸の位置を変えるなどの「配慮」をしてくれたこともあったが、君が代が流れなかったことなど、当然、ない。
 アメリカの国技ともいえるフットボールの選手が、国歌斉唱時に起立しないことは、選手自身はもちろん、先のオバマの発言もどれだけのブーイングを浴びるのか、想像に難くない。国家に対し抗議の意思を示す選手に対し、国の最高権力者が擁護する。ものすごいことではないか。興奮しながら関連する記事を見つけようと、すぐに日本の大手新聞社のサイトを検索してみたが、どこにも載っていなかった(見落としているのかもしれないが)。何かに気をつかって自主規制したのだろうか、あるいは関心がなかったのだろうか。
 検索しながら私は、二〇〇九年に起きた在特会による京都朝鮮学校襲撃事件のことを思い出していた。ネット配信された映像に、全身が凍り付いた。子どもたちが学んでいる時間帯に校門前で行われた暴挙は、極めて差別的で許しがたい事件と思われたが、新聞ではほとんど報道されなかったように記憶している。ヘイトスピーチが新聞で大きく取り上げられ始めたのは、それからおよそ三年後の二〇一三年、排外主義に抗議するカウンターの活動が活発化し始めてからのことである。「表現の自由」と、痛みに震えるマイノリティのどちら側に立つべきか、迷うことではなかったのではないか、と思うけれど。
 一一月、ドナルド・トランプが大統領に選ばれた。移民排斥を主張し、人種・性差別発言を繰り返す新大統領の誕生。今更懸念するまでもないが、「民主主義の流儀」を人びとは忘れないと信じたい。

(こ・きるみ/一般社団法人ひょうご部落解放・人権研究所 事務局長)


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