コラム・水平線

月刊誌『部落解放』の巻頭コラム「水平線」を著者のご了解を得て、転載いたします。

(2017/6/16up)




◆ 「たにんごと」と「じぶんごと」 ◆

〈『部落解放』2017年6月号掲載〉

仲岡しゅん

 近頃、いわゆるLGBTやセクシュアルマイノリティの人権問題といったテーマで講演依頼を受けることが多い。人権問題として、いわば近年ホットなテーマの一つである。
 また、マスメディアでのいわゆる「オネエブーム」は終わる様子もなく、テレビで「オネエ」の芸能人を見ない日はないと言ってもよいくらいで、彼ら彼女らはお茶の間に欠かせない存在ともなっている。その結果、世の中の多くの人びとにとって、セクシュアルマイノリティの存在は非常に身近なものになったのではないだろうか。
 他方、私が懸念しているのは、そういったセクシュアルマイノリティの大々的な取り上げられ方の一方で、果たしてどれだけの人が、セクシュアルマイノリティの問題を「たにんごと」ではなく、「じぶんごと」として捉えているだろうか、ということである。
 そこで、私は講演の場でいつも、聴衆に対して、あえて次のような意地悪な問いを発することにしている。
 「みなさんね、テレビの向こう側で、セクシュアルマイノリティのタレントが人気ですよね? ……ではここで想像してみてください。ご自分の娘さんが彼女を連れてきたら? ご自分の息子さんが彼氏を連れてきたら? あるいは、ご自分のお子さんが性別を変えると言い出したら? ……それを抵抗なく受け止められますか? もし受け止められないとしたら、それはなぜでしょうか?」
 私が講演会場でこう問いかけると、一瞬、困ったような顔をする人が少なくない。そう、セクシュアルマイノリティをテレビの向こう側の存在としては当たり前のように見ることができても、それを自分の「身内」に置き換えて考えてみれば、やはり困惑する人や抵抗感を抱く人も少なくないのが現状だろう。
 つまり、どこかの遠い「他人」である誰かがマイノリティであっても、特段気にもしないばかりかむしろエールを送るけれど、それが自分の「身内」に入ったとたん、シビアな本音が出る。それが私たちの姿なのである。
 そしてこの構図は、何かに似ていないだろうか。
 そう、部落民など、被差別属性を持つ者に対して昔から行われてきた、結婚差別である。今どき多くの人は、「部落差別はしてはいけない」とか、「外国人への差別はいけない」と、キレイな建前を口にするわけであるが、いざそれらの属性を持つ人が、自分の「身内」に入ったときに、差別が起こるのである。これが結婚差別の構図だ。
 セクシュアルマイノリティの問題と、部落問題、あるいはそれ以外の差別問題。物事の歴史的経緯や現在の状況は大きく違えど、「他人」と「身内」を隔てる壁を通じて差別が顕在化するという点においては、差別の構図は似通っているのである。
 私たちは、問題が「たにんごと」から「じぶんごと」になったときでも、変わらぬ姿勢を貫けるだろうか?

(なかおか・しゅん/北本法律事務所)


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