コラム・水平線

月刊誌『部落解放』の巻頭コラム「水平線」を著者のご了解を得て、転載いたします。

(2018/5/23up)




◆ 不正義を正す正義へ ◆

〈『部落解放』2018年4月号掲載〉

五野井郁夫

 一月二四日、ヒップホップミュージシャンのECDが亡くなった。九〇年代から日本のストリート・ミュージックを牽引してきたECDは、反差別運動でもつねに先頭にいた。新大久保をはじめとする路上で率先してシットイン、ダイインをしたのもECDだ。カウンターに参加していた人びとは、ECDの大きな背中に幾度となく勇気づけられたのだった。
 ECDは反差別運動のみならず、脱原発運動や二〇一五年安保、特定秘密保護法反対抗議、最賃引き上げ運動などの重要な局面で、「言うこと聞かせる番だ、オレたちが!」「貧しいやつは手上げろ!」といった、運動を象徴するコールをいくつも生み出してきた。そのなかに「キレイゴトに力を、今こそ!」というコールがあった。
 二〇〇〇年代までの、「キレイゴト」なんて言っても無駄だという諦めに似た空気感を吹っ飛ばすこのコールは、人びとの心に響いた。不正義を致し方ないものとして目を瞑る空気感は、まだ若干人びとの心のなかに誤った形での「現実主義」として巣食っている。だが、なぜこれが誤っているかといえば、それは現実主義ではなく、たんなる現状肯定主義に他ならないからだ。
 正直なところ不正義に対して挑むのはしんどいし、いくばくかの勇気がいる。それが政治・社会構造そのものである場合にはなおさらだ。声を上げただけで嫌がらせを受けることもある。だから人びとは平和主義や人権の尊重、差別の全廃を「キレイゴト」として小馬鹿にする冷笑や傍観、「中立性」をにじませた逆張りの態度に、偽りのもっともらしさを提供してくれる「やらない理由」を探すことに躍起になる。
 反レイシズム運動が隆盛し始めた頃、いわゆる知識人の間でつぶやかれた発言は「職業として何ができるか」だった。あからさまな不正義を目の当たりにしても、「やらない理由」を必死で探そうとする者たち。かれらの一部は、いまでもレイシズムのみならず他の差別や、日本政府による沖縄への扱いに対しても同様の立場を取り続けている。
 もちろん冷笑や傍観、「やらない理由」を探すことは各人の自由だ。だがこうした不作為は、ヘイトによって傷つけられる人びとへの人権侵害に対して見て見ぬふりをし、不正義な現状を肯定するばかりか、公権力による市民への暴力を容認することですらある。かれらの決まり文句は「何が正義かは自明ではないから、今後も問い続け考えたい」だ。けれども、問い続け考えている間は不正義を野放しにしてよいわけではないだろう。こうした傍観者を決め込む態度はもうやめにしよう。
 反差別のカウンター側がとった動きは、有識者らが動かないのであれば、社会と政治の空気を、そして規範を先に変えてしまい、知識人たちを置いてけぼりにすることだった。その運動の先頭で「職業として」ではなく、まず一人の人間として不正義に立ち向かうことを、ECDは行動で身をもって示してくれた。現状を変えようとする意思の込められた彼の身振りは、この日本で人びとが諦めつつあった「キレイゴト」に再び力を与え、不正義を正す正義を実現しようという機運を、市民の側から蘇らせたのだった。

(ごのい・いくお/高千穂大学経営学部 教授)


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