コラム・水平線

月刊誌『部落解放』の巻頭コラム「水平線」を著者のご了解を得て、転載いたします。

(2018/12/18up)




◆ マジョリティのアイデンティティ・ポリティクスの時代? ◆

〈『部落解放』2018年8月号掲載〉

伊藤公雄

 四〇年ほど前から、研究テーマのひとつとして男性学・男性性研究を進めてきた。世間では「男性学 Men's Studies」と呼ばれることもある。しかし、これだと「女性学 Women's Studies」を逆さまにしたものだと誤解されることがある(つまり、「女性差別」からの解放の学問である女性学に対抗する、「男性差別」からの解放の研究という勘違いだ)。もちろん、男性もジェンダー化された社会による抑圧にさらされている(重い「男性性」という鎧を押し付けられている)。しかし、男性は、現状では社会的なマジョリティであるのも事実だ。女性に対する差別の構造と男性への抑圧はやはり内容が異なる。そこで男性(性)を対象にしてきた男性研究者たちは、「男性学」ではなく、別の言葉を使おうということになった。そこで生まれたのが「Men & Masculinities Studies」だ。ぼくもこれにならって「男性学・男性性研究」者を、この頃は自称している。
 男性(性)を研究しているなかで、一〇年ほど前、この作業が社会的マジョリティの研究だということに気がついた。この流れは、欧米社会の「白人研究」や植民地支配の時代の「宗主国」の人々の意識の研究、在日コリアンの人々や在日中国人の人々を前にした「日本人」研究ともつながってくる問題を含んでいると思っている。
 よく知られているように、一九六〇年代後半以後世界的に広がった女性解放運動などの社会的マイノリティの運動は、しばしば「アイデンティティ・ポリティクス」を掲げた。そこには社会的に排除され差別されてきた人々の「自己肯定」への強い思いとともに、社会的不公正や差別の告発の声が含まれていたと思う。実際、二〇世紀の後半、社会的マイノリティのアイデンティティ・ポリティクスは、あらゆる人の人権の確立という国際的な動きと重なりあいつつ世界を大きく変えることに成功した。
 しかし、社会的マジョリティの側は、この変化にきちんと対応できたのだろうか? 少なくともジェンダー平等という点で、日本の社会的マジョリティである男性たちは、十分には変わりきれなかったように思われる。昨今の財務省幹部のセクシュアルハラスメント事件などをみていると、日本の政治や官僚の世界では、女性の人権という観点がほとんど欠如しているのではないかと思うほどだ。
 実は、社会的マジョリティは、多くの場合、変化に対応するのが苦手だ。なぜなら、彼ら彼女らの「やり方」が社会のルールとして「制度化」されてきたからだ。だから、公正な社会への変革の動きが、納得できない。それどころか、近年、社会的マジョリティの側が、「自分たちも被害者だ」とでもいえるような動きも広がりつつある。移民や難民への排外主義の動きはその典型例だろう。いわばマジョリティのアイデンティティ・ポリティクス(自己反省なき自己主張)とでも言えるような歪んだ動きだ。
 このマジョリティのアイデンティティ・ポリティクスの動きと向き合い、それを解体する作業は、今後の人権確立の動きにとって大きな課題になると考えている。

(いとう・きみお/京都産業大学客員教授)


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