コラム・水平線

月刊誌『部落解放』の巻頭コラム「水平線」を著者のご了解を得て、転載いたします。

(2019/2/27up)




◆ 差別と歴史は解きほぐせない ◆

『部落解放』2019年2月号掲載

森まゆみ

 地域雑誌「谷中・根津・千駄木」を一九八四年から二〇〇九年まで季刊で出し続けていた。表現で悩んできたことは多い。谷中は台東区、根津、千駄木は文京区、北区と荒川区、四区の区界である。それぞれ形成史が違い、雰囲気の違う街である。収入や生活保護率などの数字を取っても相当違う。 区同士でなく、区内でも生活格差は厳然とある。高台の元大名屋敷や武家屋敷だったところは一戸建ての屋敷があり、低地の江戸時代からの町人地には商店や長屋が多い。そう単純でもなく、お屋敷町も相続や生活がかかって、その裏に木賃アパートが隠れている。
 地元の学校間では大変、競争心が強く、「千駄木学校ボロ学校、上がってみてもボロ学校」などというはやし歌は昔からあった。千駄木の代わりに根津や汐見と入れても歌う。あらゆる差別はあってはならない、というのは前提だ。だけど、これを差別といいたて、なかったことにすると、郷土史は面白くなくなるような気がする。
 「昔ここに百軒長屋という貧民街があった」と書くのがいいのかどうか、今そこに住んでいる人のことを思うと苦しくなる。しかし、昔本郷区中のゴミを持ってきて埋めた千駄木の底なし田んぼの後に、マンションが売り出されているのを見ると、過去の歴史を知って建てているのか、買っているのか、と心配になる。3・11では低湿地に建てたマンションでは液状化や地盤沈下が起っている。かと思うと、路地や長屋の歴史や暮らしを実際に知らないで、そこでの近隣生活を自由とか助け合いとか、礼賛だけしている記事を見ると、これもいいのか、と思う。貧しい時代だからこそ助け合わなければ生きていけなかった。
 職業について。団子坂や切り通し坂など、かつての坂の下には「軽子」「立ちん坊」と言って、荷車の後押しなどして「お鳥目」をもらう自由労働者がいた。これも書いていいのか、迷う。
 今そんな職業はないので、誰かを傷つけるわけではない。
 樋口一葉の小説ではよく「人力車夫に身を落とし」というのが零落のシンボルとして登場する。「十三夜」などはまさしくそうである。幼馴染の女は明治の顕官に見初められて玉の輿、しかし愛は冷めて夫は浮気三昧、幸せではない。男のほうは没落して人力車夫になり、かつての彼女を上野山下から駿河台まで乗せることになる。
 人力車夫も絶滅に近く、観光地で見かけるが差別感は今やない。同じく、東京都の連載で「女中」「庭師」「下男部屋」などは全て「使用人(女性)」などと直されてしまった。そうなるとどういう立場の人なのか、暮らしの実態がまったくわからなくなる。
 最近自分の母の聞き書きを作ったのだけど、浅草で戦前を過ごした母にはどう見ても「お手伝いさん」は似合わなかった。やっぱりその頃は「女中」であったのだ。丁稚や番頭や出入りの職人、年季奉公や薮入りやお仕着せの歴史をどうしたら証言として残せるか、ほとほと苦労する。母は空襲を「アメちゃんが来た」といい、命は助かったが、財産すべてを失った。戦後、進駐軍の病院で見た患者を「クロちゃん」と呼んでいたそうだ。白人の医者が嫌がる患者はみんな母のところに回って来たという。父と母は空襲にあって一文なしになり、焼け残った町の長屋で私は生まれた。
 差別をなくし、歴史も書き残す。それは隘路と言って良い。

(もり・まゆみ/作家)


コラム・水平線INDEXに戻る



HOME

JINKEN BOOKは、(株)解放出版社が提供しています。 無断転載を禁じます 。
Copyright (C)Buraku Liberation Publishing House Co.,ltd 2001, All Rights Reserved


E-mail

(株)解放出版社
Phone:06-6581-8542(代表) Fax:06-6581-8552
東京事務所: Phone:03-5213-4771(営業) FAX:03-5213-4777