コラム・水平線

月刊誌『部落解放』の巻頭コラム「水平線」を著者のご了解を得て、転載いたします。

(2019/7/17up)




◆ Uncensored Duuchuimunii 1(未検閲のひとりごと その1) ◆

『部落解放』2019年4月号掲載

Koji NAKADA Enrique

Haisai gusuuyoo, chuu uganawira. Wannee Koji NAKADA Enrique yawiin. Namahara yutasarugutu unigee sawira 'uu. Chuuya washita Uchinaaguchi nu fanashii sawira yaa.(以下略)

 私は研究発表や講演会などで基本的に上記のように挨拶を始めるようにしている。それは、公的な場でUchinaaguchiを使用することによって@その存在を可視化し(都市伝説じゃない)、A差異を明確化し(ぬーがぬーやらぬーんわはらん!)、Bこれまでに虐げられてきた我々Uchinaanchuの言語権を取り戻す働きがある(tal vez)と信じているからである。とは言ってもやはり、発表のすべてをUchinaaguchiで行うことはできない。それは私の言語運用能力の問題ではなく、ほとんどの場合聴き手の理解できる言語が音声日本語に限られるからという状況要因による。結果としてyamatoの公的な場においてUchinaaguchiが存在できるのは、せいぜい3分が関の山である。Pero, like,まずは公共圏でのUchinaaguchi使用を増やすことからすべては始まる。Claro pe!!
 歴史修正主義的yamatoで私の研究について話す際は常に、前提となる知識の共有を心がけている。少し勉強したウチナーンチュや沖縄のことを研究している人であれば「普通に」知っているような(べき)歴史的事実・年号について最低限押さえた上でなければ私の研究の意義・重要性を話す段階にまで至らない(ことが多い)ためだ。
 ウチナーグチを話せない状況に生きざるを得ないことが差別と抑圧の歴史そのもの(現在進行形w)であるにもかかわらず、それがあまりにも「フツー」で「しょうがない」ことになってしまっているinsanityを生きている。
 そして過去に行われた植民地主義的同化政策の一環としての方言札と近代教育制度という暴力装置への評価・反省がなされないまま、さらにその装置を生み出し運用した日本政府への責任を問うことなく、今日的なテーマである「言語多様性の保持」という「よくわからないけど耳ざわりの良いもの」によってクリティカルな沖縄人の声にふたをされる状況がある。
 Yashiga, I ain’t gonna give a sh!t nada mAes! Enough is enough.  ……ということで、今後我達Uchinaanchuと日本人がいかに対等な関係に近づけていけるか引き続き考えていきたい。Chao, matayaa sai.

1.沖縄の言葉 2.何がなんだか何もわからない 3.沖縄の人 4.たぶん 5.日本 6.でも、それでも(米語・西語) 7.もちろんさ! 8.狂気 9.でももうこれ以上我慢しない。10.もうたくさんだ! 11.ではまた(西語・沖縄語)

(なかだ こうじ えんりけ/大阪大学大学院博士課程、リンガフランカとしてのumanchu nu uchinaaguchi、ポリグロットうちなーんちゅ、クィアフェミニスト、関西沖縄文庫にてインターン中)


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