コラム・水平線

月刊誌『部落解放』の巻頭コラム「水平線」を著者のご了解を得て、転載いたします。

(2020/11/11up)




◆ ソウル梨泰院集団感染は何を問うのか ◆

〈『部落解放』2020年10月号掲載〉

日置 一太

 「子供たちが外に出られない生活を強いられているのに、クラブで踊って感染するとは許せない、謝罪せよ」。今年五月、韓国仁川市のあるマンションの玄関に、新型コロナの感染者を非難する文書が張り出された。署名には保護者一同とあった。マンションには、ソウル梨泰院のゲイクラブ「キング」で感染したとみられる二〇代の男性が住んでいた。
 感染の第一波を押さえ込み、夜の街の自粛を解除した直後の梨泰院でのクラスター発生、それまで「個人データ」を感染拡大防止に駆使し、世界的にも成功例として賞賛されていた韓国当局の動きは、この時も素早かった。感染発覚の翌日には、個人のスマートフォンの位置情報やクレジットカードのデータから行動履歴を割り出し、五万七〇〇〇人を超える関係者を把握、検査を実施、二五〇人近い感染者は出したものの、押さえ込みに成功した。
 しかし、そのプロセスにおいて、起きたことは韓国社会に別の衝撃を与え、今なお、論争を呼んでいる。当局が感染者の情報を一部公開していたことを頼りに、メディアが競って個人を特定、居住地域、職場まで報道、その内容が「ゲイクラブ」であることを強調したものであったため、一種の非自発的な性的指向性の公開、アウティングにつながってしまったのだ。前段の男性はそうして報じられた一人だ。ネットの中には差別的言説があふれた。「宗教団体と同じように非正常な集団が正常な人たちに感染を広めている」などとする書き込みも現れ、多くの「いいね」が寄せられた。感染防止か、プライバシーの保護か、当局は、感染者の情報の扱いについて模索を続けている。
 今、世界各国は新型コロナの感染防止アプリの導入を進めている。個人情報の扱いについてはいくつか異なるモデルがあるが、巨大IT企業が関わっているものもあり、将来的なデータの管理の仕方などについて懸念の声もある。
 先日、アメリカを拠点として活動するジャーナリストのナオミ・クライン氏に話を聴く機会があった。著書『ショックドクトリン』で知られる彼女が取材した一つがイラク戦争(二〇〇三年)後の復興の状況だ。「衝撃と畏怖」作戦と名付けられた空爆で始まったイラク戦争。その後、復興担当としてアメリカが送り込んだブレマー行政官が進めたのは徹底した新自由主義に基づく公共の破壊と民営化だった。五〇万人の公務員の解雇、病院の解体、米系企業の進出、それがその後のイラク社会と人々に何をもたらしたのかについては改めて触れるまでもないだろう。クライン氏は、そうした大きな戦争や災厄で社会が衝撃を受けている中で進む「政治と企業が一体になった利益独占の動き」を「ショックドクトリン」と名付けた。
 その彼女が新型コロナの感染拡大というショック状況の中で、今、最も警戒するべきだと指摘したのが、インターネットをめぐる「政治と企業」一体となっての動き「スクリーンニューディール」だ。テレワークに遠隔授業、ポストコロナの私たちの社会と生活は、否応もなく、インターネットに依存したものになっていく。中でも、感染防止のデジタルシステムや遠隔医療システムは「命」を盾にとって推し進められてくる。引き換えに渡していく個人情報がどう使われていくのか? 私たちは気がつかないうちに大切なものを奪われようとしているのではないか? スマートフォンの向こう側で、加速度的に進行している社会の変化をどう捉えるのか、韓国の梨泰院集団感染をめぐる動きは、私たちに改めて問うている。

(ひおき かずた/テレビプロデューサー)


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