コラム・水平線

月刊誌『部落解放』の巻頭コラム「水平線」を著者のご了解を得て、転載いたします。

(2021/1/6up)




◆ 生殺与奪 ◆

〈『部落解放』2020年12月号掲載〉

いとうせいこう

 どのくらい通っているかもはや覚えていない。二〇年近いのではないか。私は毎年八月に和歌山県新宮市に出かけていたものだ。尊敬してやまない作家、故中上健次が生前に組織した熊野大学というネットワークによる、二泊三日の夏期合宿に参加するためである。
 とはいえ、私は最初の一〇年近く、参加者たちの泊まる場所とは別の駅前のビジネスホテルにいて、そこから土地の友人から借りたワンボックスカーで那智勝浦まで移動していた。途中でヤスを買い足し、浜辺で煮炊きするための燃料やらスープ用の野菜、ビールや炭酸飲料などをごっそりゲットする。
 つまり熊野大学で中上について討論するのは初めの夜とか、最終日の夕方以降のみで、他の時間は紹介された小さな入江でシュノーケルをつけて海に入り、魚を突いては「地上班」に料理を頼み、さんざん夏を満喫していたのである。
 我々はしかし、自分たちこそが「中上を考えている」と主張してやまなかった。なぜなら彼が描いた和歌山の自然は、まさに海の中にも豊かにあり、あるいは突然の雷や荒れる波といった自然の恐ろしさ、蝉やトンビの絶えない声やよく訪れる黒いアゲハチョウ(我々はそれを「中上さん」と呼んだ)の姿によって、我々は彼の文学風土を身にしみて知ることが出来たからである。
 特に私は毎年、最初に海に入って一匹目のカサゴやカワハギを見つけた瞬間、自分が相手を確実に殺せないことに気づく。ヤスを向けても金属の先端は獲物からズレてしまうのだ。自分に殺生をする覚悟が出来ておらず、かえって相手の腹あたりをただ傷つけるだけで終わるから、魚はおそらく弱って他の魚から攻撃されて死ぬのである。私のせいで。
 ゆえに大きな海の中で自分が遊び半分でやっていることの重大さ、「やるならやるしかない」という人間と食べる対象の関係について、私は考えざるを得ない。
 それでも半人前の漁師である自分は、カワハギが夫婦であらわれてきたりする時にまた決心を鈍らせる。あんなにキモのうまいカワハギだけれども、さて自分は夫婦のどちらを追いかけて突くのか。とその時、私は人間の汚さも思うし、遊びの残酷さ、ゆえの優雅さまで体に電流が走るようにして考える。
 それはひいては中上文学の中で主人公・秋幸が義理の弟の目を石で潰そうとする時のこと、あるいは生物上の父親・浜村龍造を殺めようとして追い回す描写、しかしその父が自分の前で首を吊って死んでしまう瞬間にもかろうじてつながっている。確かに私はひとつの命の前にいて生殺与奪の機会を手に泳いでいるのだから。
 さんざん遊んで中上が最も多く描いた新宮の宿に戻る。すると夜の闇に薄ぼんやりと白い芙蓉が咲いていることがあり、それが文学世界への懐かしさというより、まるで第二の故郷の懐かしさに感じられたものだ。
 台風とコロナで二年、行っていない。

(いとうせいこう/作家・クリエーター)


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